Looking up to heaven




俺という男は、恋とか愛だとかが好きじゃない。

仕事でもないのに、個人的なことで束縛されるのも好きじゃない。

結婚しようと女に言われたことも数回あるが、結局俺は逃げ出した。

家庭を持つなんて柄じゃない。

何より喧騒と恋情に揉まれるのはまっぴら御免だ。

いつもそう思っていた。

 

 

五月のパリは過ごしやすい。

晴れていれば最高気温は二十度ほど、雨が降れば少し冷えるが、みな薄着で出かけられる気候だ。

めぼしい仕事もなく、つまりルパンが欲しがる宝もその時はなく、俺とルパンはバカンスと言って、自堕落に過ごしていた。

オープンキッチンのリビングと、寝室が二つ。パリにしては広めのアパルトマンを借りていた。

小さなバルコニーもあり、エッフェル塔が東に小さく見える部屋だった。

時計を見ると十一時を指していた。俺は朝刊を二周して、テレビもスマートフォンのニュースもチェックを終えていた。

大して面白そうなことはなく、俺はため息を吐き、二人掛けの白いソファーから尻を上げた。

それから寝室に入り、薄手の羽毛布団にくるまって寝ている男を見つけた。

「おい、もう昼だぜ。起きれねえのか、それとも死んでるのか?」

夜の帳が上がり、朝日が部屋に差し込んでも一向に起きて来なかった男を揺さぶった。

「あー…どうりで眩しいと思った」

癖のついた髪を撫で、無精髭を散らしたルパンは眠気の絡みついた視線で窓を見た。

そして俺の頬にキスをしてから、布団から出た。

ルパンと暮らして、もう何年になるか知れない。

仕事もデートもない日は、あいつは無限に寝続ける。

それを俺が起こし、飯を食わせてやる。

洗濯なんかが溜まっていれば、それを片すこともある。

共に暮らすことには、すっかり慣れていた。

「ルパン」

ほぼ昼食のトーストを目の前で頬張っている男を見ながら、俺は口を開く。

「今日は出かけるぜ」

「……メンテ?」

俺の腰に今もはまっている銃を指さしながらコーヒーをすする。

「それと買い出しだ」

「じゃあ、納豆買ってきて。ハムとチーズもいいけど、頭が元気にならねえや」

「あんな気持ち悪い食い方、俺の前でされるのは御免だ」

ルパンが気に入っている納豆トーストを一蹴する。

あれをやられると、部屋が納豆臭くなる。

窓を開け離しても風がない日はなかなか消えないものだから、消臭スプレーを撒き散らすことになる。

「冷たくしないでよ、ダーリン」

マグを煽って空にした後、ルパンはそう言った。

男の俺に、ふざけた冗談をよく言う男だった。

「お前を恋人にした覚えはないぜ」

「そう?俺様ずっとそうだと思ってたけど」

朝は起こしてくれるし、朝飯は出してくれるし、そうやってさ、ずっと俺と暮らしてくれるし。

言いながら空の皿をシンクに置き、そのまま洗面台に向かう。

シェーバーのモーター音が聞こえ始めたので、髭の粉は流せよと釘を刺しておいた。

ルパンは俺を恋人だとふざけて言うが、俺にそんな気はなかった。

一緒に居るのは長らくそうしていた延長線でしかない。

共に寝ることもある間柄だが、ルパンに恋をしている覚えはなかった。

身なりを整えて玄関に向かうと、ルパンが洗面所から顔を出した。

「いってらっしゃい」

「おう」

何でもないやり取りをし、俺は玄関の扉を開けた。

 

昼過ぎに愛銃をメンテナンスに出し、その待ち時間にカルフールに向かうことにした。

日本でいうスーパーマーケットだが、倉庫のように広い。

車の中で帽子とジャケットを脱ぎ、なるべく目立たないようにしてから店に入る。

だだっ広いスーパーだったが、あちこち店を渡り歩いて買い込むよりは手間が省けた。

足りなくなった洗剤を見つけ、消耗したフライパンを新調し、今夜の飯の食材を適当に買い込む。

ルパンが食べたいと言っていた納豆も買った。

フランスでは買った商品を入れる袋は持参しなければならない。

俺はレモンなんかがプリントされたそれをその場で買い、手のひらに食い込むのを感じながら車に運ぶ。

買い出しは一人より二人の方が楽だ。

ここ最近引きこもっているルパンを外に連れ出したかったが、そうするとひっきりなしにナンパをし、それをいさめると女が「恋人が嫉妬してるわ」と冷やかすのが嫌だった。

俺たちはあくまで相棒だ。

確かに、ビジネスからはみ出した感情はある。

それでも、それは例えるなら家族といったような、恋人同士のようなものではないと思う。

だから、他人にそう冷やかされると不快だった。

車の中で時間を潰した後、愛銃を受け取りに行った。

その後、アジトにしているアパルトマンに戻った。

その時のアジトはエッフェル塔から離れ、わりと近代的な外観だった。

住んでいるのはほとんど出稼ぎの中国人たちで、俺たちもそのフリをしていた。

部屋に入れば、春のパリの風が俺に吹き当たった。

「おかえり」

ルパンはそう言って、ダイニングテーブルでノートパソコンを叩いていた。

仕事でもしているのかとディスプレイを覗いた。

「お前が臭いって言うから、空気清浄機でも買おうかと思ってさ」

煙草もやるし丁度いいだろ。そう言って、俺の意見も聞かずに注文のボタンを押した。

「そうまでして食いたいもんか」

「俺は最高にうまいと思うんだけどなあ。お前、日本人のくせにわりと嫌いだよな」

「日本人として暮らした期間なんて、ほとんどないぜ」

ガキの頃に暮らしていた記憶があるが、成人もしないうちにアメリカへ、そしてこのルパンという男と出会い、それ以来バカンス程度にしか日本では暮らしたことがない。

日本食も好きだが、五ェ門のように魂に刷り込まれているような好み方でもない。

この男がうまいと言えば、何でも同じものを食べて生きていた。

日本での暮らしより、俺はルパンという国で暮らした年月の方が、よっぽど長い。

この男は多国籍で、どの国より刺激に満ちて、暮らすには心地よかった。

「いつ届くんだ」

「さあ。二週間ぐらいでくればいいんじゃねえの」

「忘れちまうな」

フランスの物流を日本と同じだと思っていると痛い目に遭う。

この国の通販は、それくらいに遅い。俺はルパンから離れて、袋の中身を冷蔵庫に詰め始める。

「次元ちゃんさあ。荷物片したら、また俺のところに来てよ」

「ん、ああ」

何か話でもあるのだろうかと思いながら、俺は中身を冷蔵庫や戸棚にしまってからまた同じテーブルに近寄った。

ルパンはパソコンを閉じて、自分の隣の椅子を引いた。

座れという意味を知り、腰を下ろす。

「俺様ね、ここを出てくわ」

さらりとルパンは言った。俺は首を傾げた。

地元の女としばらく暮らすのはしばしばあることで、その時は出て行く際に軽く言う。

「そんなこと、わざわざ言わなくてもいいだろ。どうせすぐ帰ってくるんだ」

俺はテーブルに肘を突き、この男はこのまま結婚するかもと浮かれながら、一週間以内に帰ってくるのを知っていた。

ルパンは少し寂しそうに笑いながら、自分の煙草の箱を弄んだ。

こつこつと、角で机を叩く。

「……わかんないんだよね。すぐかもしれないし、ずっと帰ってこないかもしんない」

「半端なことだけ言うなよ。結論を言え、結論を」

思わせぶりなだけで確信に至ろうとしないルパンをせっつく。ルパンは箱の角を潰した。

「不二子と結婚しようかなあと、思ってんの。いい?」

上目遣いに、俺の目を覗き込んだ。俺は、言葉を聞いて背筋が寒くなった。とうとう来た、と。

「……わざわざ俺にお伺い立てるようなことかよ」

先日、出先から帰ってきた奴は浮かれていた。

理由を言わなかったが、不二子の香水がぷんぷんと漂っているだけで理由は知れた。

「だってさ、男女だったら事実婚だぜ、俺たち。お前だっていきなり俺が居なくなったらびっくりしない?」

奴は幼げな顔つきで、俺に手を伸ばそうとした。

何が事実婚だと、俺はそれを手の甲で避けた。

言われてみれば、十何年も衣食住を共にした相手だ。

出会いの頃に盛り上がって、バカみたいに引っつき合った夜もあった。

恋人みたいになったことも、あった。だがそれは年を経るにつれて、頻度は減っていった。

それでも離れることはなかった。そういう関係だった。

「男女だったらの話だろ。好きにしろ。もとより俺は一人の方が好きなんだ」

もとより俺はそういう人間だ。

女とだって、結婚というステージを考えたことはなかった。

深い相手とはいえ、こいつをそんな風に見ることも、見られることもない。

俺たちの根本は仕事だ。寝ているのは、お互いのセックスが嫌いじゃないから。

恋をして、愛し合ったからなど、毛頭思っていなかった。

「……そう」

奴はずっと寂しげだった。演技の上手い男だ。

腹の中ではこれから始まる生活に、期待が溢れて止まらないのだろう。

「仕事の時は言えよ。いきなり切られて困るのは、俺にとってはそっちだ」

皮肉にも、長い年月を過ごしてきた分、俺もこいつも真っ当に働くことなどできないのはわかっている。

こいつの相手も相手だ。

カタギになるつもりはゼロだろう。

夫婦だけで仕事をやることもあるだろうが、俺を呼ぶのもわかっていた。

無茶をする時は、決してあの女を巻き込むことがないこの男のことだ。

「次元」

俺はいつの間にか目線を下げていた。

それを、呼びかけで気づいた。

目線を上げれば、目の前の男は俺を見つめていた。

「どうして、重婚ってダメなんだろうなあ」

俺の手を取り、薬指に指で作った輪を通す。

俺は奴の言わんとすることがわかった。

わからなければよかったと、その輪から逃れて手をポケットにしまい込んだ。

「お前と結婚して不幸せになる奴が、一人で済むようにだろ」

俺は御免だぜ。つけ加えて、椅子から腰を上げた。

「次元、俺は……」

「よかったな、ルパン。俺からの祝いだ」

額に口づけて、俺は鍵をポケットから取り出した。

キーリングからこの家の鍵を外し、奴に放り投げる。

「おい、出て行くのは俺だって」

「ここの家賃は俺一人じゃ無理だ。お前が始末しな」

着の身着のまま、俺は玄関へ向かう。

奴はすぐに追ってきた。

「次元、待っててば、もう少し」

「空気清浄機、今のうちに返品した方がいいぜ」

「次元、聞けって」

手首を捕まえられて、俺は腰のマグナムに手をかけた。

 

メンテナンス直後で試し打ちもせず、弾も入っていない状態だ。

それでも、盾として雄弁にこいつが語る。

今は話せる状態じゃないと。奴は絶句するように口を少し開けたまま、手を離した。

「……悪いが、車はもらうぜ」

俺もマグナムから手を離し、玄関から去る。

車に乗り、当てもなく走り出した。

まずは空港に行こう。そして、行きたい国へ行こう。

そんなことを考えていた。

信号待ちの時、何故か涙が出てきた。

バカじゃないか、と俺はそれを拭った。

何を傷ついている、このくらいで。

奴が女とくっつくことなど、いくらでも予想できたことじゃないか。

それに、奴と俺は恋人でも何でもない。

だから、俺が傷つく道理なんてない。

必死になって涙を押し出す感情を片付けようとする。

だが道理で納得しない部分が、その感情を圧迫していた。

何年も一緒に居たのは俺だというのに。

あっさりと置いていかれた。

俺は心のどこかで、ルパンに選ばれているのは自分だと思っていた。

あいつの心など、俺にわかるはずもないのに。

恋人だと言ってくれていた。

俺は本気にしないフリをして、結局どこかでそれを信じていた。

だから、他の人間を選ばれて、狼狽している。

「忘れちまえ」

柄にもなく独り言を呟いた。

だが、結局そうするしかない。忘れるしかない。

いくら頭の中で問答を繰り返したところで、結論が出ることではない。

割り切りのよい自分を思い出し、忘れろ、と自分自身に言い聞かせる。

前を向き、奴のことを思い出さないよう景色に集中する。

狭く見える明るい空は、奴のジャケットの色をしていた。

信号もすでに同じ色で、俺は後ろの車のクラクションに急かされて発進した。

 

奴と暮らしていたパリを出て、俺はアメリカへ渡った。

パリに居れば、いずれあの二人に会う気がした。

そして、何故か俺が気まずい思いをする。

まっぴら御免だと、一番馴染みの深いニューヨークを選んだ。

ここのことなら知り尽くしているし、信頼できる情報屋も居る。

狭いアパートを借りた時、俺は自分のキャッシュカードを使った。

先の仕事の成果だった。

しばらく前から奴と財布は同じだったが、あいつが生活費も計算せずに投資と言ってばかすかと使うのを見かねて、避難させた金だ。

しかし、その金は俺が入れた時の倍になっていた。

「慰謝料のつもりかよ」

それでも部屋のグレードを上げることはなかった。

部屋は、下町の外れにある古びたレンガのアパートだった。

エレベーターもない、しかも外階段しかない物件で、その四階は破格の安さだった。

中は本当に狭かった。

シングルのベッドと横幅の狭い椅子を置いたきり、何も置けはしなかった。

しかし、それ以上俺が使うこともなく、わりと快適に過ごせた。

去年のことだろう。俺は奴との賭けに負けて一年間も掃除の当番をやらされた。

すぐに散らかす男に怒ることがよくあった。

今の生活では、そんな感情の起伏を持たなかった。

なるべく奴とのことを思い出さないように心を殺していたのもあるだろう。

仕事がなければ、感情の起伏もない。

俺は生きている気がしなくなって、夜にはバーに繰り出した。

ほろ酔いの気分になるのはよかった。

時折昔の仲間と出会い、夜深くまで語り合っても、家で機嫌を損ねて待っているような奴も居ない。

随分と、自分は束縛されていたのかもしれない。

そんなことを思いながら、自由を謳歌していた。

ある晩、遠い昔に同じ組織で働いたことのある男に再会した。

イギリス人で、皮肉の多い男だったが、仕事は綺麗で評判のよい男だった。

とはいえ、基本的にはヤクザな内容だ。

綺麗というのは、恨むものをほとんど出さない殺し方をする手腕のことを言った。

「とうとう猿の檻から抜け出せたのか」

一人で過ごしていた俺を、奴はまずそうからかった。

俺は別の奴が檻に入れられたからな、とあいつが女とくっついたのをそれとなく伝えた。

そいつは可哀想に、檻の主が食い殺されなきゃいいなと隣の男は言った。

「それで、お前は次にどこの檻へ入る気なんだ」

「どこにも。しばらくぶりの娑婆だからな」

自由を満喫するのさ、とマルボロの煙をバーボンに吹きかける。

「自由を満喫か、そいつはいい。誰にも何にも言われないってのは、最高だ。何をしたっていいってことだからな」

俺はイギリス人の顔を見た。額は丸く、顎がしっかりと張っている、いかにもイギリス人という感じの骨格で、ブロンドっぽい赤毛。悪くない、と俺は思った。

「そうだな。それに男はフリーな方が、何事も楽しめる」

いつだったか、このイギリス人には恋人が居たはずだ。

理屈っぽく、それでいて情が深いという二面性の激しいこいつは、惚れられては振られるを繰り返していた。

男の恋人も居たような気がすると、俺はバーボンを飲み、周りを少し気にした。

昔の人間同士で口説くというのは、わりとやりにくい。

「フリーが一番いい。それに、恋だとか、愛だとか。年を食っちまうと面倒くさくなる」

男がそう言ったのに頷きながら、また酒を煽る。

「それでも溜まるものは溜まるしな」

「……そう、そいつが厄介だ」

少し視線を交わすと、あっちもその気なのがわかった。

もし、この現場をあいつが見ていたら、顔を赤黒くさせて俺を引きずっただろう。

いや、今はもう困った奴だという顔で、知らないフリをするだろうか。

どちらにせよ、俺には関係ない。

俺にこんな趣味を持たせたのが、奴だとしても。もう、それは過去のことだ。

高い酒の勘定をあっちが出した時、俺はそれと同じ金額を、ホテル代として渡した。

お前が相棒と寝ているという噂は本当だったんだな、と服を脱がされながら言われた。

別に隠しちゃいなかったと、俺は返した。

思えば、俺たちが出会ったのは酷く若い頃で、二人共思慮のある大人だという顔をして、何もかもが未熟だった。

人間をどうこうするということが何かもわからずに、互いが手放しがたい人間だったからという理由で、セックスまでしていた。

そしてこういう愛の形も、関係の築き方もあると、それで正解だと突っ走っていた。

考える時間さえ惜しいほどに。

年を食った今となっては、そんな自分たちさえ眩しく感じられた。

あの頃は刺激に満ち溢れて、余計なことを考えることもなく、飽きることもなく、夢中で生きていた。

「お前はどっちをやってた?」

男に聞かれて、俺が選ばせてもらったことはないと、足を開いた。

目の前の男は、あの男ならやりそうなことだと、身を屈めた。

抱かれながら、俺は過去を振り返っていた。

初めて抱かれた日は苦しかったのを覚えている。

そこに俺の気持ちはなくて、それでも奴が飽きずに俺を懐柔させて、いつの間にかセックスが当たり前になった。

慣れてきた頃に俺の身体は変わって、息さえままならないほどの絶頂を知った。

女との激しいセックスでさえ、あれほど興奮したことはなかった。

今も決して悪くはないが、あの熱さを、どうしても思い出した。

違う、きっと、俺はそれを思い出したかった。だから女じゃなくて、男を求めた。

「誰を見てる?」

男が言って、俺の顔にかかった髪を避ける。

悪い、とだけ俺は返した。

「いいさ。俺も今は彼女を思い出してる」

こんな髭面にか、と笑うと、髪が同じだと口づけた。

「愛だとか、恋だとか。年を食えば面倒だ。なのに一度覚えたら、二度と忘れられない。人生は難儀だ」

「シェークスピア気取りだな」

「喜劇だと思わなきゃ、やってられないだろう」

男がそう言ったのを、的を得ていると俺はまた笑った。

かつて、俺のものだと言われて舞い上がって、年を経てそれは反故にされて。

捨てられたのを自由だとのたまい、男を食らっているなんざ、本当に笑えた。

「喜劇で泣くんじゃない」

男は行為の途中で、そう言った。俺は泣いていたらしい。

自分では気づけなかった。

俺は笑い涙ってのもあるだろうと返して、そのまま男の熱を受け止めた。

その後はシャワーを浴びて、それぞれ寝床へ帰った。

後腐れがなさ過ぎて、俺は行為が本当だったかもわからずにアパートへ帰った。

腹の中に違和感を覚えながら、買っておいた酒を飲む。

理由もなくテレビをつけ、それを子守り歌に眠った。

 

数日が経ち、手持ちが心細くなってきた俺は仕事を探しに出た。

この街は昔と比べて治安がよくなったのか、前はオファーをかければ複数依頼が来たものだが、今回は一つだけだった。

もしかすると、あいつと長らく組んで俺の人気も落ちたのだろうかと、自嘲した。

依頼は至極簡単で、要人のボディガードだった。

要人は政府のお偉いさんで、俺は集められた元殺し屋の一人だった。

帽子がNGだと言うので、しぶしぶボルサリーノは部屋に置いてきた。

時給は安い上に、仕事もつまらなかった。

要人はやたらびびっていたが、実際に狙ってくる輩はいなかった。

おそらくただの疑心暗鬼なのだろう。

張り合いがなく、一週間も経たないうちに俺から下りた。

振り込まれた金を持ち、新しいバーに入った。

バーはシックな雰囲気の、ちょっとしたシャンデリアのある店だった。

バーボンを注文し、今後のことを考える。

おそらく、あいつらはすぐには仕事をしないだろう。

ハネムーンと洒落込んで、一年は帰って来ないかもしれない。

そうなると、それまでは自分一人で暮らしを立てなければいけない。

とはいっても、昨今の不況では容易いことではないだろう。

かといって、カタギの仕事ができるはずもない。

奴が勝手に渡してきた金を使うのも、負けた気がして嫌だった。

そこまで考えて、俺は随分長い間、奴に依存していたと感じた。

奴がやる気さえば、俺は食いっぱぐれることもなかったし、家があった。

本当に、俺は依存していたのだろうか。

負けず嫌いな心が、自分自身に問い直す。

奴が俺を離さなかったんじゃないか。

奴とは仕事以外を断ち、離れて暮らすことだってできたのに、あいつが暮らそうと言ってきた。

半ば強引だったが、男二人の気楽な暮らしは続けると思いの他心地がよくて、逃げ出すこともなかった。

考え直しても、依存していたのは確かだった。

俺は久しぶりに、自分を客観的に見た気がした。

とはいえ、今は自由だ。俺一人で仕事をしても、何をしたって口出しされることもない。

そもそも、俺という人間は、元は一人で生きていた。

いい年をして、一人になった瞬間立てなくなったなど、言えるはずもない。

また仕事を探そう。そう考えた。

「あなた、一人?」

いつの間にか、女が俺の隣に居た。

女は仕事帰りとった様子で、見るからにキャリアウーマンだった。

「一人だぜ、君は?」

挨拶代わりに返すと、女は微笑みを見せながら一人よと返した。

女は美人だった。

俺好みの色白で、瞳は青かった。

ナンパに乗るなど、何年振りだろうか。

懐かしく思いながら、他愛もない話をした。

奴といた頃も女を抱くことはあったが、頻繁なことじゃなかった。

ここ数年は性欲も落ち着いて、さほど発散したいとも思わなくなっていたせいか、めっきり女は抱かなくなった。

セックスがしたければ、近くに馴染みの相手が居た。

「今日は話せて楽しかった。また明日も、来るわ」

女はそう言って先に立ち去った。

出会って初日で身体を開かないところにも好感を持てた。

だが、俺は翌日に店を変えた。

恋だの愛だのは、しばらく遠慮したかった。

彼女の顔は、もう思い出せもしない。

その夜から情報屋が集まる酒場を巡り、今までよりも積極的に仕事を探した。

できれば長期がよいとリクエストをすると、相棒と喧嘩でもしたかとからかわれた。

そんなものはしていないと、俺はさほど反応しなかった。

幾人かはよい話があれば声をかけると返してくれた。

だが、丁度よい仕事はそうすぐには見つからなかった。

ぽつぽつと小さな仕事が入るだけだ。

俺は、自分が敬遠されているのかとさえ思った。

元はあの大泥棒の相棒だ。奴の思惑で動いていると思われているのだろうかと。

気になって情報屋に尋ねたが、自意識過剰だと笑われた。

単に、この地域の治安が、よくなってしまっただけらしい。

そんなに仕事が欲しいなら、戦場に行けばいい。

あそこでは仕事にあぶれることもない。

そう言われて、俺は懐かしい戦場を、仕事の選択肢として思い浮かべもしなかったことに気づく。

いや、戦場はダメだ。

あそこでは俺は、俺自身の命の保証さえできない。

死にたいと思っているわけでもない。

「俺も、無茶できるほど若くない」

ごまかすように言い、何かあれば声をかけてくれと頼んで、酒場を出た。

夜道を帰りながら、喧嘩も悲鳴もない裏通りを通り、アパートにたどり着いた。

玄関のドアを閉めた時、戦場か、と誰もいないのに声に出してしまう。

確かに、戦場であればしばらく時間が潰せるし、大した金は期待できないにしても、安定していた。

だが、かつて戦場に居た時の俺には溢れるほどの若さがあった。

そして、今の俺にはない。

あれほどの若さがあっても、最終的には嫌になって戦場を抜けた。

今更俺に戻れる場所ではなかった。

早く、奴があの女と別れて俺に泣きついて来ないものだろうか。

女々しくも考えてしまう自分が嫌になる。

仮にそうなったとして、俺と奴は結局のところ夫婦でも何でもない。

相棒という皮を被っていても、名前も形もあやふやな関係だ。

戻ったところで元の木阿弥、俺は奴に呑まれるだけだというのに。

それでも、あの男の傍に居て、振り回される日々が恋しかった。

「大バカだ」

恋しさを振り払うように、自分を評価する。

今すぐに、俺のために、このまま自立するべきだった。

ほそぼそとでも、知った土地で暮らす。

気まぐれに奴の仕事の誘いを待って。

その誘いが俺の柱にならないように。

数年はかかるかもしれないが、俺のこの毒のように染みる寂しさも不安も、どうにかなるだろう。

時間さえあればいい。

時間さえあれば、忘れられる、癒される。

そう祈りながら、眠るために腕時計を外した。

 

 

 

あいつの元を離れて一か月が経った頃だろうか、俺は買い出しに出た。

酒やつまみの入った紙袋を抱えて部屋へ戻ると、玄関の前にバカでかい段ボールが置き去りにされていた。

一瞬不審物かと思ったが、伝票を確認すれば、それは日本製の空気清浄機だった。

奴め、要らないからといって送りつけやがった。

俺は若干苛立ちながら、ひとまず段ボールを部屋に引き入れた。

中には白く、何の変哲もない機械がはまっていた。

明日の収集で捨てちまおう。

新品なら、いくらでも拾い主が居そうだった。

ただでさえ狭い部屋に置くには、えらく邪魔だった。

翌朝、俺はそいつをゴミ捨て場へ抱えて行った。

そしてダストボックスの前に置いた時、付近の者らしい、キャップを被ったサングラスの若い男が近寄ってきた。

「それ、捨てるのか」

「ああ、要るなら持って行け」

俺は段ボールの箱に張りついていた説明書を剥がし、投げてやった。

男はそれを見てから、俺を見る。

「本当に?日本製の、こんな新品を?」

「おい、通報するなよ。こいつには爆弾も何も仕掛けちゃいない」

俺は男の物言いを聞いて、疑われていると感じ、つけ足した。ニューヨークという街は、いかなる時でもテロに非常に敏感だ。

この男は、この機械をネコババしに来たのではなく、俺を疑ってきた可能性がある。

「本当に?じゃあ、あんたの家で一回使わせてよ。何ともなかったら警察には言わないから」

キャップの男がじろじろと俺を見る。

何が悲しくて空気清浄機の動作確認なんてしなきゃいけないのか、俺にはわからなかった。

それでも不審者として通報されるのが嫌で、結局その男を部屋の前まで連れて行った。

そして玄関のストッパーにしていたプラスチックの箱にコンセントを挿し、しゃがんで電源ボタンを入れた。

ゴウ、と音を立てて機械が動き出す。

「これでわかったろ。俺は困ってただけなんだ」

キャップの男にそう声をかけると、悪かったねと口を開いた。

さっさと持って行ってくれと俺がコンセントを外し、振り返る。

通路の手すりには、もうキャップの男はいなかった。

代わりに、青い空と同じ色のジャケットを着た男が空から滴るように背を預けていた。

「いいけど。お前さんもセットにしてくれなきゃ」

ルパンはにこりと笑って見せた。

左指には、指輪を外したばかりのような跡がある。

「不二子はどうした」

「あー……いつもみてえに、逃げちった」

「それで何で、ここに来たんだ」

「……結婚するなら、お前とがいいなって、思った」

その言葉を聞いた時、俺は頭に血が上るのを感じた。

どれだけ都合のよいことを言っているのか。俺を何だと思っているか。

先行したのは怒りだった。

立ち上がり、思い切り拳をふるった。

頬を殴られて手すりにのけぞったあいつは、戻ってきた時に口の端を切っていた。

「俺は、お前みたいな奴とだけは一緒になりたくねえ。そいつは不二子も同じだったみたいだな」

あの女に同情するぜと吐き捨て、俺は機械を蹴飛ばした。

前面のパネルにひびが入り、横倒しになって大きな音を立てる。

もう動きはしないだろう。

もっとも、こんな最悪の空気をろ過してくれる機能がないなら、無能も同然だ。

「帰れ。お前なんざ、もう相棒でも何でもない」

「次元、そんなに怒るなよ」

奴は眉尻を下げ、心から悪いと思っているというような声色で俺に話しかけた。

俺の弱い顔で、その顔をされて許さなかったことは、これまで一度もなかった。

「うるせえ」

怒りは確かにあった。

だがそれは表面だけで、今にも縋りつきたくなっている自分が居る。

それを避けるために、退いた。

男は滴った血を袖で拭い、それでも俺に近寄っては来なかった。

「あいつを、俺は追ってやれなかった」

そしてぽつりと、呟いた。

「あいつが薄々、俺に飽きてるのも知ってたし、追いかけて留まるような女じゃないのも、わかってた」

そして俺が返事をしないのを見てから、言葉を続けた。

「でも追わなかった一番の理由はさ。まだ間に合うんじゃないかって、思ったからなんだ」

「まだ一か月だ。お前と会わなかった期間で、それより長かったことは何度もあった。それでも、すぐに元に戻れた。だから、戻ってきたんだ」

俺はそれを聞いて、あの女を不憫に思った。

頼まれなくたって追いかけてくれた男が、さっさと見切りをつけた。

俺のために、と信じたいところだが、実際のところどうかわからない。

自分を受け入れてくれる可能性が低い方より、高い方を選んだだけかもしれなかった。

つまり、自分に都合のよい方を選んだだけかもしれなかった。

「都合がよ過ぎて笑えないぜ、お前」

「うん……俺も我ながらさ、みっともないと思ってるよ」

切った口の端で、ひきつるように笑う。

明るい空の下だと、奴の背中に後光が射すかのように見えた。

「本当に、ダメか?次元、また俺と暮らさない?」

甘えるように言い、少しだけ身体を俺に近づける。俺はそれに伴うように、一歩引いた。

「……俺があと少し若かったら、いいって言っただろうな」

横暴を許すには、年を食い過ぎた。

突然突き放され、一人になり、将来が不安になり、女々しく元に戻りたいと願う。

もう二度と、あんな思いはしたくない。

次にあんなことがあれば、俺はもう耐えられやしない。

俺だって、中身は怪物だ。

傷つけられれば、相手がこいつであっても牙を剥いてしまうかもしれない。

「お前なんかと、もう居たくない」

牙を剥きたくない、これ以上傷つくのも嫌だ。

そう考えて、俺は拒絶の言葉を口にした。奴はしばらくの間黙っていた。

口の血は止まっていたが、痛そうな顔で俺を見ていた。

「一か月で、こんなに痩せたのか」

奴は一気に距離を詰めてきた。

そして少しあばらの浮いた肉を撫で、抱き寄せる。

「次元、俺が居なくて寂しかっただろ」

お前は俺が居なきゃ、ダメだろう。

そう言いたげに耳元で囁かれる。

「意地なんか捨てて、俺と行くって言えよ」

口説くように言いながら、俺にキスをしようと迫る。

俺は顔を背けて、逃げた。

「お前の毒は、もうたくさんだ」

そう言って、奴を突き放した。

心臓が凍るように痛かった。

きっと長過ぎたんだ。

俺は、何の疑問も持たないまま奴と暮らし続けたことを後悔した。

恋人みたいに熱くなった過去も、たまに思い出したようにそれをぶり返させたことも、間違いだった。

「もう、たくさんだ」

結局、俺たちは深く関り、長く居過ぎた。俺はお前から離れられなくなって、二進も三進も行かなくなった。

だが、それに気づいたところで、もう元には戻れやしない。

癒着していた部分を引き剥がしたのは奴で、たとえまた張り合わせようとしても、俺の抉れた部分は戻らない。

「すぐに不二子のとこに戻れよ。今から戻れば、何とかなるだろう」

「そんなことしても、お前と同じこと言われちまうよ」

「俺はさ、お前に甘えてないと生きてけねえの」

「それが俺を殺してもか」

「きっと、そうだなあ」

「……本当に、お前って男は残酷だ」

呆れて言葉を返す。そうだった。

お前はそういう男だった。

俺が蝕まれようと、自分のしたいようにしてしまう。

このまま俺を殺す気なんだと知れば、何故か俺は心のどこかで安堵した。

ルパンはまた俺を抱き締めた。

逃げられるほど緩く、強引さがない。

こんなに優しいハグは、久しぶりだった。

縋りたい気持ちが胸の檻を飛び出し、指先に集まる。

気がつけば、俺は奴の背中に手を添えていた。

「俺が残酷なら、お前は慈愛が過ぎるぜ。俺様以外の奴らじゃ、怖くてくれてもやれない」

「不二子はいいのかよ」

「女ってのは強かさ。本当は男なんか、必要ない」

「俺だって男なんざ要らねえよ」

「お前が要らなくても、俺様が要るの」

腕に力を込め、首も俺に預けてしがみつく。

まるで子どもだった。

「だからさ、戻ろうぜ、次元。南フランスによ、丁度いいアパートを見つけたんだ。下はビストロをやってて、二フロアで、部屋も分けてある。空気清浄機なんかも要らねえ、いい場所だぜ」

「バカ野郎、あれはお前の納豆が臭うからって話だったろ」

さりげなくいい話にするなと悪態を吐く。

あいつはそうだったと軽く笑った。その笑みが、凍った心臓を溶かす。

こいつから受けた積年の毒は、きっと俺の血に巡って、俺の身体に染みついている。

抜けてしまったら、どこもかしこも穴だらけになる。

代わりに埋めてくれるものだって、ありはしない。

俺はとっくに、自立のできない身体になっていたのだと、悟った。

「次元、俺と行こう。俺とお前の家にさ」

青い腕が、懲りずに俺を抱き締める。

灰色にくすみ始めた青い空を見上げたまま、俺は腕を背中に絡ませた。

「ここの引っ越し費用、お前が持てよ」

もう一度空を見れば、雨が降ってきた。

 

 

 

ルパンと南フランスへ移り住んだ時、俺は変装用のマスクを被っていた。

どういう設定かは知らないが、爺二人でアパートに越し、各々の部屋に荷物を運んだ。

移り住めるだけの、最低限の家具と仕事道具だけで、トイレットペーパーもなかった。

「おい、色んなもんが足りないぞ」

「まあまあ、これから暮らしてくんだからさ、ちょっとずつ集めたっていいだろ?」

「不便でならねえよ」

俺がぼやくと、ルパンは嬉々としてスマートフォンを俺に見せた。

少し離れたところに、カルフールがあるらしかった。

「フィアットも近場に預けてあっからさ。行こうぜ」

「今からか?」

「だぁってトイレットペーパーもないんじゃ困るでしょ。

あ、新聞紙とか言うなよ。俺様はノーブルなんだから」

「言ってねえし、俺だってそこまで野良じゃねえよ」

やり取りをしながら、引出しにしまった変装道具を取り出す。

マスクを被れば、見知らぬ老いた人間に、演技をせずともなれた。

奴が運転する狭苦しいフィアットの助手席に乗ることが、酷く懐かしくさえ感じた。

小一時間、とろとろと車を走らせ、ついた頃には夕方だった。

食料や消耗品やらを、カートに乗せ、小型ながら意外と荷物が乗る車に詰め込む。

「さぁて、帰るか」

奴が演技のない声で言う。

ギアを変え、アクセルを緩く踏み込む。

俺は軽く返事をし、窓を開けて煙草に火をつけた。窓の外は、すっかり暮れていた。

家に着くと、夜中まで荷物を片した。

それでもさばけたのはほんの一部で、俺の部屋にはマットレスが引けなかった。

「俺の部屋で寝るか?」

ソファーに毛布を運ぶ途中、ルパンが声をかけた。

リビングと同じフロアにある奴の部屋には、シングルベッドが一つ置いてあるだけだ。

「いい」

添い寝するような仲じゃないだろ、と俺は冷たく言い、毛布にくるまりうずくまった。

「そう」

ルパンはそう返しただけだった。

夜になり、俺は静かな部屋に居ながら寝つけなかった。こういう時、あいつは来てくれる。

俺は、それを待っていた。

そして、来なかったらまた傷つくのだろうと、不安だった。

いくら傷つけられても、待っている自分を嘲笑いたくなる。

傷つけられたら、許したい。

女々しい思いに気がつきながら、中毒になっているそれを振り払いきれなかった。

日付が変わる頃、リビングのドアが静かに開いた。

足音は忍ぶこともなく、俺に近づいて来る。

そしてソファーの背に座り、俺の髪を撫でた。

「次元」

「……何だよ」

安堵しているのを隠すため、あえてぶっきらぼうに返した。

「夜のフランスは冷えるんだぜ。おいでよ」

「言ったろ、添い寝するような仲じゃないって」

「そんなこと言ってさ。本当は待ってたんだろ。俺にはわかるよ」

何でもお見通しの男は、俺の頬に口づけながら言った。

俺は見栄を張るのも限界で、身体を上に向けた。

そして、腕を伸ばした。首を引けば、奴は落ちてきた。

そしてどちらからでもなく口づけて、夢中になって吸いつき合った。

「んふ、久しぶりだなあ。お前とのキス」

髭がくすぐったいんだよなあ。

奴がしみじみと言う。それは俺だって同じだ。

薄く髭の伸びた顎が、肌に触れればこそばゆい。

俺は身体に巻きつけていた毛布を解き、奴の背中にかけた。

だが、こんな狭いソファーに二人で寝るのは不可能だ。

「次元?」

「抱けよ」

明け透けに、露骨に。

プライドの壊れた俺は、縋りつくのを隠さなかった。

抱かれたところで、結局それだけで終わることがわかっていても、この男の肌が欲しくてたまらなかった。

「寂しかったんだな、お前も」

ルパンの長い指が俺の髪を梳くように撫でた。

「でもよ、わかってんだろ。今したら今回のこともうやむやになって、終わるぜ」

「今更だし、いつものことだろ」

「んー…そうじゃなくてさ、お前はうやむやにしたいのかって、聞いてんの。俺とお前の関係をさ」

女々しいことを聞くと思いながら、自分の頭にあった手を握る。

「霧が晴れたっていい景色だとは限らない。

それなら、綺麗なものがあると期待して霞を見てた方がよっぽど幸せじゃないか?」

この関係を明確にしようなんざ、やめてくれ。

その意味を込めて指を絡める。ルパンは苦虫を噛み潰したような顔を俺に向けた。

「お前も懲りないな。それで何度傷ついた?」

「毒が混じっていたって、それしか食うものがないなら食うまでさ」

硬く閉じた唇に触れると、ルパンは俺の指先に軽くキスを返した。

「どうしてそう、俺のこと素直にわきまえちまうかね」

「それの何が悪いんだ?」

いいじゃないか、このままで。

息ができないほど苦しめられても、毒に浸っていても、ないよりかはよっぽど満たされる。

ルパンが与えるものは、もとよりそういうものだった。

そのことに失ってから気づいたのは、俺の方だ。

「俺だって人間なのよ。お前を苦しめたくない気持ちはあるのさ」

「はは、どの口が言うんだか」

軽くキスをして、来て欲しいと首を引く。

ルパンは、反発するように身体を少し引いた。

「次元、あしらわないでくれよ。俺様だって本気でお前のところに戻ってきたんだぜ。今までの、流すだけの関係のままでいたんじゃ意味がない」

言いながら、背中は抱き止めるように支えられている。

「俺と一生居てくれるってんなら、形を変えよう。もう少し綺麗なものにさ」

恋人として、夫婦としてこれからは過ごそう。

お前と死ぬまでを誓うから。笑うこともなく、真摯に問われる。

俺も緩い笑みが溶け、そして多少の困惑を覚えた。今更そんなことをするのかと。

俺には理解できなかった。

年を食ってしまった俺には、そんなものはただの幻想に過ぎないとしか感じられない。

それなのにこいつは、本気でそう思っていた。

そう思うほどの若さを、胸に残していた。

途端に距離が離れたように感じ、絡ませていた腕を解き、下に捨てた。

「俺には、もう無理だ」

この関係は変えられない。

変えた先に何があるのか、想像もできない。そんな体力は、もう残っていない。

「何が無理?」

「全部だよ。お前との全部、今更何が変えられるんだ」

いつまでも若い、更新を重ねていくこの男に比べ、俺はいつまでも古いままだ。

傷つけられて、許して、つかの間愛されている、あるいは自分が選ばれている夢を見る。

ずっとそういう関係だったというのに、いきなり変えろと言われてもイエスとは言えなかった。

「そうか、そうだよな。すぐには変えられない」

「そういうことじゃ、ない」

可能性を見ている男を否定して、瞳だけを見返した。

「ルパン、もう言っちまうけどよ。俺はお前が好きだぜ。お前が望むようになってやりたい。でも、無理なもんは無理だ」

今更、恋人同士になれなんて無理だ。

夫婦なんていうままごとをして、家庭を演じるのはもっと俺には無理なことだ。

できないことをできるとのたまうほど、俺は嘘吐きにはなれなかった。

「……お前も俺のこと捨てんの?」

ぽつりと呟いた顔を見ると、酷く悲しげに目を細めていた。

このやり取りを、もしかすれば不二子とし、そして俺と似たような返答をされたのだろうか。

だが、それも仕方のないことだ。

ルパン、お前は周りの人間と自分がまるで違うことを、理解しているようで、できていなかった。

お前はいつでも、コロコロと気分を変える。

やり直せると思っている。

若い時には、多少なら俺にもできた。

だが今はもうできない。

「俺がお前を捨てたりなんかできるかよ。お前が俺を捨てない限り、俺だって側に居るつもりだ」

この言葉は本心だった。

それを伝えるために抱き締めると、ルパンはうな垂れた。

俺の肩に目を埋め、同じように俺を抱き締める。

「なら結婚してよ、次元ちゃん」

「できるなら勝手にやればいい。でも俺には期待するなよ」

「お前の意思ってのはないの?」

「ないな。お前が随分昔に食っちまったから」

走馬灯のように、若かった頃を思い出す。

俺の意思は決して弱い方じゃなかった。

それをお前は燃えるような愛と暴力を武器に骨抜きにして、それ以来俺の意思はお前の意思ありきなものになった。

全部お前がしたことだと、言ってやりたかった。

だから、今更この関係を変えるなんてことが不可能なんだ。

俺も年を取り過ぎた、お前は俺から奪い過ぎた。

「俺は変われない。それが嫌なら、新しい相手でも見つけろ。お前の望む相手をよ」

俺は、俺自身がこの男の枷になるのが嫌でそう口にした。

もう捨ててくれ、と言ったつもりだった。

すると、力を抑えた張り手が頬に当たった。

「次元、二度とそんなこと言うな」

「……しがらみのあるお前なんて、お前らしくない」

「俺らしいとか、そうじゃないとかの話してんじゃねえんだよ。俺とお前の話だろ」

「いいや、お前の話だ」

視線を戻し、俺は黒い瞳を見つめた。

「けじめをつけなきゃいけないのはお前の方だ」

「今の俺はお前が作ったものだ。それで満足できないなら、今すぐに殺してくれよ」

俺はもう、ルパンという男の一部だ。

不二子のように、自分自身の生き方なんて、できやしない。

あの女は、最後まで核を盗まれず逃げ切った。だから、自分の生き方ができる。

「……次元」

「何だ、ルパン」

叩いた頬を撫でられる。

痛みはまるで残っていなかった。

「俺たちはずっとこのまま?恋人でも夫婦でもなくて、これじゃ相棒でもねえや」

「……最初からこうだった。先に進むものでも、後ろに引くものでもない」

「形は変わらない?」

黒い瞳が俺を覗き込んだ。

口調は柔らかいが、聞き直すような圧があった。

「そうだな」

俺は即答を返す。

「俺様にも変えられない状況?」

「多分、そうだな」

同じように、答えを返す。

ルパンという男にできないことはない。

と言いたいところだが、今回ばかりはそう言い切ってやれなかった。

「そんなもん、あってたまるかよ」

憤怒混じりの言葉が返ってくる。

見つめ返せば、ルパンの瞳に炎を見た。

まるで、若い頃の目つきだった。

 

 

 五

「次元、おはよ」

穏やかな声に起こされ、俺は目を開けた。

ソファーの背から視線を上げると、エプロンを着けた奴が俺を覗き込んでいた。

昨晩は結局、何もせず別々に寝ていた。

「簡単だけど、朝飯作ったぜ」

「……ああ、わかった」

パキパキと鳴る肩を伸ばしながらソファーに座り直す。

ゴミや雑貨を落としたテーブルには、すでにコーヒーが置いてあった。

「パンとジャムしかねえけど」

「……不二子にもしてやってたのか?」

寝ぼけていた俺は、何気なく聞いてしまった。

言った後にしくじったような気がして、顔を上げる。奴は嫌味なく笑った。

「あのお姫様だぜ、自分で何かしてやるはずないだろ」

スライスしたフランスパンにマーマレードを乗せ、一口かじる。

その後に朝に叩き起こされて風呂を入れたり、夜中に呼び出されてデートをしたり、と苦労話を語った。

「ああ、今日も荷物を片付けねえとなあ」

そして不二子の話を区切り、皿を下げる。

俺は、どんな相槌を打てばよいのかと思いながら、ずっと生返事ばかりをしていた。

「部屋は分けてある。長く居るだろうし、お前好みのソファーも買っておいたぜ」

言いながら出窓を開け、生温い風を部屋に入れた。

それから、黙々と荷物を片付けていた。

てきぱきと片付ける奴を見ながら、この作業がなくなった時、何を話せばよいのか、そればかりを心配していた俺は手元の動きが遅かった。

あっという間に昼になり、奴は老人のマスクを俺に渡した。

銭形に見つかってねぐらを変えるのは面倒だから、そう言っていた。

その意見には賛同できた。

階段を降りると、奴好みの美人な女が食事を運んでくれた。

何でも彼女の夫は不運にも事故に巻き込まれて亡くなったらしい。

そして女手一つで生きていくために部屋を貸し出したらしい。

こんな爺でよければ悪漢くらいは追い払うから、いつでも呼んでくれ。

奴がそう言って白い手を握り、チップに色を足して会計を置く。

奴とは数十年共に居るが、女好きは魂に刷り込まれているように色あせない。

そんなことを思いながらガレットを口にする。

フレンチにしては素朴な味が、気に入った。

食事を終えて、各々の部屋の片付けに戻った。

俺のベッドはロフト式になっていて、マットレスや布団は入れにくかった。

何となく、あいつが来にくい構造だと思った。

今までは平置きのベッドで、もつれ込むのも押し倒されるのも容易いベッドだった。

俺に来いということだろうか。

考えながら、試しに寝転んでみる。

狭く、天井も近くて、逃げ場のない就寝スペースだった。

そこで、奴が来れば俺は逃げられない構造だと気づいた。

ソファーと寝床、それとクローゼットの中を片し、何とか生活はできるくらいのスペースができていた。

何のサービスなのかは知らないが、人型のターゲットマークの転写シールもついていた。

こんな至近距離じゃ、練習用にもなりはしない。

仕事抜きの遊びだと知りながら、丁寧にそれを貼りつける。

元から少し汚しの入ったそれは、部屋によく馴染んだ。

「じげ~ん、終わったかぁ?」

パーカーにズボンとラフな格好で奴が顔を覗かせる。

まだだ、と言いながら段ボールを外に出すため、奴を押し退けて横を通る。

「ああ、これもまだ開けてねえの。喜ぶと思ったんだけどなあ」

そう言って部屋の奥から大きな段ボールを引きずって来る。

そんなものがあったのかと言いながら近寄ると、中には大きなコンポーネントステレオが鎮座していた。

「レコードからCDまで対応してんだ。暇な時に使ってくれよ」

リモコンを渡し、夕方には部屋で食事を取ろうと声をかけて部屋を出て行く。

俺は自分がクラシック好きだったということを、久しぶりに思い出した。

奴が俺を迎えに来るまで、奴のせいで、そんなことを思い出す余裕もなかった。

コンポを箱から出し、コンセントに挿す。

何枚かついていたレコードの中に、シューマンのミルテの花なんて曲があった。

シューマンは好きだが、この曲はまったく俺の趣味ではなく、あいつが入れたのだろうとすぐに気がつく。

今聞く気にはなれず、そのまま袋に戻し、俺の気に入っているシューマンの曲を適当に流した。

情緒的過ぎず、地味過ぎない。心地がよく、そのまま片付けは放棄した。

数時間経って、トマトと肉の香りが上から香って来る。

誘われるように階段を上がると、すっかり片付けられたリビングで二人分の食事の用意をしている奴が居た。

「じゃがいものニョッキ、特製ボロネーゼ風だぜ」

料理名を聞いて、随分懐かしい記憶を思い出す。

まだ出会って間もない頃だ。

指先に切り傷をつけているのを見ながら、いつもなら口にしない他人の手料理を受け入れた。

気取っていて、まずくはないものの気に入らない味だったのも思い出せる。

「よく隠し味が手に入ったな」

「お前に食べさせたくてさ、ワイナリーから盗んできちまった」

嘘か本当かもわからない言葉を聞きながら、練った芋をフォークに刺す。

餅のようなそれは、昔の記憶とは随分違い、味が濃くてうまかった。

俺の味覚も変わったのだろうか。

当たり前だ、あれから何十年経ったか、曖昧にしか思い出せない。

「どうよ、俺様の愛の手料理は」

おどけながら、奴が赤ワインを煽る。

俺は笑いながら、気取り屋のお前らしい味だと返す。

テレビをつけ、何でもないドラマを見ながら完食する。

それを奴が片し、俺の隣に戻ってきた。自然に俺の肩を抱き、医療ドラマらしいそれをリスニング代わりに見ている。

そのドラマが終わると、討論番組が始まった。

「相変わらずつまんねえなあ、フランスのテレビは」

そう言ってあくびをし、風呂の準備をすると席を立つ。

俺は何をするでもなく、そのつまらない討論番組を見ていた。

眠気を誘うには丁度よく、腹も満たされてうつらうつらとし始めた。

「寝るならシャワーを浴びてからにしな」

戻ってきた男が、俺の目蓋にキスをする。

呻きながら目を開け、俺は脱衣所に行き裸になった。

バスルームのドアを開けると、浴槽には泡が山ほど立っていた。

洗剤の流し忘れかと思ったが、甘ったるい花の匂いを嗅いで入浴剤だと気がつく。

俺がそれを見て固まっていると、脱衣所のドアが急に開けられた。

「ありゃ、まだ入ってなかったのけ」

「お前なあ、こんなもの入れるんなら俺が入った後にしてくれよ」

「それじゃあ意味ないじゃん。一緒に入るんだからさ」

早く浸からないと風邪引くぜ。

そう言って俺を押し込み、自分も裸になる。

今更素肌を見て恥ずかしがるほどの仲ではなかったが、久しぶりなだけあって俺はさっさと湯船に浸かった。

泡があるのは、幸いだった。

「おじゃましま~す」

身体を流しもせず、奴が入って来る。

俺は向かい合うように脚を畳み、半分を奴に明け渡した。

「ふー、いいねえ。熱めにして正解だな」

マイペースに呟く姿を見ながら、俺は俯いた。

これまでのこいつの素振りが、あまりにもあからさまな行動に思えた。

まるで恋人のように接している。

以前もこんな風に過ごすことはあったが、それはごく稀で、あいつがそうしたい時だけだった。

今日も、奴がしたいからという風を装ってはいるが、実際は俺を懐柔させるためのパフォーマンスだった。

「ルパン」

「なぁーに」

「俺とお前は恋人じゃない」

俯きながら、泡に言葉をかける。息に飛ばされ、白い粒が散る。

「冷たいなぁ。俺とこうするのは嫌じゃないだろ?」

膝を突き合わせ、俺の前髪を撫でる。

水が滴り、額を晒された。

嫌かどうかと問われれば、嫌じゃない。

こいつと居るのは、確かに俺の幸いだ。

どんな形であっても、嫌ではない。

だが、やはり引っかかるものが大き過ぎる。

奴は突然戻って来て、都合よく俺を閉じ込めて、また自分の好きなようにしようとする。

元の木阿弥にはなりたくないと言ったのは自分のくせに、結局手口に変わりがない。

「ままごとは、好きじゃない」

言いながら奴の肩を見る。

白く綺麗で、女の爪痕もない。夜中に、汗に光る赤みを帯びた肌を思い出す。

その肩に縋りつき、前後不覚になるまで愛し合った記憶が蘇ってきた。

「とか何とか言っちゃってさ、目がとろけてるぜ。シたいのか?」

濡れた手のひらが前髪を掻き上げ直し、唇をなぞる。

シたい、シたくてたまらない。お前から受けた熱は、何度思い出しても夢中になれた。

「ルパン……シてくれよ」

「いいけど、代わりに約束してくれっか?」

「何を」

「お前の恋人は俺だって」

ルパンの手が、鎖骨から伝うように下がっていく。

泡に埋まり、水面に潜る心臓のところで止まり、俺の鼓動の早さを知られていることに気づく。

「俺が、約束することじゃない」

「責任は俺が取れって?お前も言うねえ」

ルパンは少し俯き、泡を眺めた。

何を考えているか、指先から伝わることもない。

お前が変えたいって言ったんじゃないか、そう思いながら、俺から口づけた。


「ん、ン…は」

深い口づけというのは、飢餓に似ている。

食いたくてたまらないと、その欲望だけに呑まれる。

俺はルパンの頭を抱えて、必死になって吸いついていた。

並びのよい歯列と、よく動く舌、溢れる唾液がとろみを増す。

何度しても、こいつのキスはよかった。

俺の返しを受けて、むきになるように返すのも、変わりなかった。

「ルパン、ん、触って、くれ」

キスだけじゃ物足りない。

そう伝えるために、俺の首に回っていた手を泡に沈めて胸に触らせる。

俺の身体は大して触り心地はよくないだろうが、触られるのはたまらなくいい。

「そんなに欲しがるなんて、随分素直だな」

ルパンも興奮したように、胸に手のひらを滑らせ、腰の際どい部分まで指でなぞっていく。

両手が身体中を愛撫してくれるのを感じながらキスをするだけで、俺は雄が硬くなるのを感じた。

早く欲しいと、俺は足の付け根を責めていた手を股座に誘った。

「嫌か?」

「まさか。俺を欲しがるお前は大好きだぜ」

指が窄まった辺りを軽く撫で、緊張がほぐれているかを確かめるために何度も揉む。

湯に浸かって弛緩していた肉は、包むようにその指先を受け入れていた。

「一人の間、誰かと寝た?」

ルパンに問われて、俺は昔馴染みとセックスをしたのを思い出した。

最後までしたというのに、この前戯より現実味も熱量にも欠けていた。

「ああ、寝たぜ」

「どこのどいつ?」

「言って何になるんだよ」

「知りたいんだよ。恋人なら聞いてもいいだろ」

ルパンは少し怒ったように聞き返す。

散々他の女と寝ておいて、俺のことだけ詰める気らしい。

「恋人なら過去のことなんて忘れてくれよ」

言いたくない、と暗に伝えればルパンは黙った。

そして俺に立つように促した。

腰を掴まれて湯から上がると、触ってもいないのにすっかり自分の雄は硬くなり上を向いていた。

でもそれはルパンも同じことで、お互い興奮しきっているのを知って笑ってしまう。

「元気だな、お前」

「それは次元ちゃんも同じでしょ」

向かい合うように抱き締め合って、雄を擦り合わせる。

それだけでも気持ちよく、呼吸の熱がまた温度を上げた。

「ルパン、早く、ナカに入れてくれよ」

「煽るなって。怪我させちまう」

そう言って俺に壁へ手をつくように言い、腰だけを引かせた。

シャンプー台の裏に隠してあったボトルに手を伸ばし、潤滑液を手のひらに垂らす。

火照った身体には少し冷たい粘液が、広く塗りたくられた。

「息、吐いて」

言われるまま、息を細く、長く吐く。

その中で指先がナカに入り、それだけでも身震いをした。

指は少しずつ深く沈み込んで、軽く動かされた。

処女みたいに優しくしなくたっていいと言いたかったが、軽く前立腺を擦られる快感で出るのは吐息ばかりだった。

「気持ちいい?お前はここが好きだったよな」

泡に濡れた背中を撫で、ルパンは俺のうなじにキスをした。

頷けば、指が増える。二本目も、三本目もすぐ呑み込めるようになり、穴が期待でヒクつき始める。

俺の我慢も限界で、たまらず自分の片手で片方の尻の肉を掻き分けた。

「あ……早く、挿れてくれ、ルパン」

「ふは、随分やらしいこと覚えてるな」

たまらない、そう呟いてすぐに、雄が突き当てられた。

よく解されたことと、積年の経験で、穴は素直に太いそれを呑み込み始めた。

カリ首を過ぎ、次第に太くなっていく竿に腹のナカを開かれていく感触は最初は苦しいが、それは束の間だ。

根元まで収まった時、俺は満たされて冷たい壁に額を擦りつけた。

「あ……、はぁ……」

「痛いところがあったら、言えよ」

緩い出し入れが始まり、この男に腹のナカを掻き混ぜられる感触を思い出す。

イギリス人とセックスをした時も気持ちはよかったが、それとはまるで違った。

心の底から興奮し、身体の芯から快楽が湧き上がる。

もっと激しくされたいと願い、言葉を失う絶頂を求めたくなる。

「あ、ん……足り、ね……」

ここまで咥え込めば、多少乱暴にしたって怪我はしない。

俺は腰を突き出し、押しつけるように腕を伸ばした。

「もっと?」

「ん、んん……」

律動が早くなり、奥に雄の先が当たるのを感じる。

奥に当たると脳が痺れるほど快楽に突き刺されるようで、喉を伸ばして顔を上げた。

「うぁッ、あ、ルパン……ッ、ルパ……ッ」

ピストンが激しくなり、俺もそれに突き動かされて声を上げる。

雄にも触られて、膝ががくがくと震えだす。

突かれる度に絶頂の階段を上り、ただひたすらにエコーのかかる自分の喘ぎを聞いた。

「次元、イく?」

張り詰めている俺の雄を扱きながら、ルパンが耳元で囁いた。

イきたいが、イきたくない。

まだこの感触を終わらせたくない。

そう感じて、俺は首を横に振った。

「まだ、シて、欲しい……」

ねだれば、ルパンは少し笑った。

顔は見えないが、きっと俺を見て興奮した目つきをしていることだろう。

その証に、肌を打つ音が鳴るほど激しく腰を振った。

足元の泡が掻き分けられて、水面が少し見えるほどだった。

「随分寂しい思いをさせちまったんだな、お前がこんなに欲しがるの、本当に久しぶりだ」

「あ、あッ、んう、あぁッ」

腰を両手で掴まれて、その手のひらの指が食い込む。

痛いほどだったが、そんなのは突かれる度に忘れてしまう。

片手を食い込む手の上に被せて、離さないでくれと硬く握った。

「ッ、次元、出していい?」

快楽に没頭していると、ルパンが先に俺にねだった。

正直に言えば、まだ犯され足りなかった。それでもナカに出される快楽が欲しくなり、頷いた。

「は、次元、次元、イイ、お前のここ」

何度やっても飽きない。

そう呟いて、バチンと叩くように腰を深く突き出す。

そしてそのまま震えて、生暖かいそれを俺のナカに噴き出した。

「ふぁ、あ、あッ、あぁ……う……」

脈打つ度に内壁に吹きついてまとわりつくのを感じて、俺の喉が震えた。

ナカがびくびくと痙攣を初めて、膝が折れそうになった。

ナカでイキかけているのがわかって、膝が折れないように必死になって壁に縋りつく。

だが蒸気に濡れた壁はいくら縋りついても音を立てて滑り落ちていき、もがくようにしかならなかった。

それを見かねて、ルパンが腰を引いた。

一度雄が抜けて、すぐに白濁が溢れてくるのを感じた。

「次元、こっち向いて」

「はっ、はぁ……ルパン」

腕を引かれて、向き合うようにひっくり返される。

そしてすぐに足を抱えられて、そのまま挿入される。

出したばかりだというのに、雄はまだ硬かった。

会話もなく二度目が始まり、俺はルパンに縋りつきながら壁に押しつけられて喘いだ。

雄を触られなくなった分、ナカの快楽だけが蓄積されていく。

出された精液でナカがぐちゃぐちゃにされ、掻き混ぜられ、引っ掻き回される感触は、感じる度に身体中を満たす。

こうなると待っているのは雌の絶頂で、その強さと暴力性が恋しくなる。

狂ってしまいそうなほど全身に来て、毒のようにいつまでも抜けない。

この男のモノにされる快楽は、真に暴力で、俺は抵抗もできない。

「あ、もう、来る、来ちまう……」

奥だけを狙い撃ちにされて、たまらず縋りついた白い肩に爪を立ててしまう。

「いいよ、俺に愛されてイくお前が好きだぜ」

ルパンからキスをされて、俺は目を硬く瞑った。

そして口を塞がれたまま、絶頂を迎えて思い切り叫んだ。

「んんンンッ、ン、んゥ、ンン――ッ」

口の中で吐き出された悲鳴が、エコーを尾につけながら響き、それと同時にナカが締まる。

自分の意思ではここまで締めつけられないと思うくらい強く、びくびくと身体全体も跳ねる。

全身が焙られるより強烈な快楽で、口が離れるとその端から唾液が大量に溢れ出た。

濡れた唇もそれを吸って髭から滴っていったものも、拭うこともできず、ルパンの腕の中で悶え続ける。

「ぅあぁ……ッ、ん、ァ、おわ、ら、ね……ッ」

荒波のように絶えることなく快楽が全身を巡り、咥え込んだ雄から精液を絞り出そうとするように穴が痙攣し続ける。

涙まで滲んで、耐えきれずルパンに縋った。

背中に、先ほど壁にやったように何度も指をしがみつかせ、そして滑り落ち、またしがみつく。

「は、いてて、次元……爪が痛いぜ」

ルパンが笑いながら俺の首元に吸いつき、強く吸った。

俺の余韻が収まるまで、それを何度も繰り返す。

「はぁ……は、は……」

ようやく絶頂が収まって、俺はすっかり力をなくした。

縋りついてもいられなくなり、ルパンに抱きかかえられたまま、挿入されたまま泡の湯船に浸かれるように下ろされる。

「顔真っ赤。よっぽどヨかった?」

振り乱した髪を耳にかけられ、頬を撫でられる。

飛びかけた意識が段々戻って来てはいたが、俺は言葉が出なかった。

「このまま俺に溺れてくれよ」

ルパンがそう言って、少し温くなった湯を俺の肩にかける。

溺れるなんざ、今更だ。お前が溺れさせて、毒漬けにしたようなものじゃないか。

死んだって浮き上がれないようにさせておいて、これ以上どこに沈めというのだろうか。

「……は、ルパン……もっと、つけてくれよ、これ……」

それでも溺れろと言われれば、溺れてやる。

ナカでぴくぴくと震えていた雄を少し締めつけながら、つけられたキスマークがあるであろう首元を見せつけるように撫でた。


その後、二度も狂ったように抱き合い、俺は完全に立てなくなった。

湯を張り直し、湯船の中で力の入らない俺をルパンが面倒を見た。

髪を洗われ、身体を洗われ、されるがままだった。

「トリートメントしてなかっただろ、ギシギシだぜ」

仕上げだとつけられたリンスが、髪に揉み込まれる。

自分の髪のことなど忘れていた俺は、傷んだ髪が肩の先まで伸びていたことにようやく気づいた。

「面倒だったんだよ」

たとえ傷みに気がついていたとしても、ケアなどしなかっただろう。

仕事的にも精神的にも、そんな余裕はなかった。

「じゃあ、これからは俺様がやってあげる。恋人には綺麗でいてもらわなくちゃ」

シャワーでトリートメントを流し、うなじに唇が当てられる。

「まだ続いてんのかよ、それ」

恋人ごっこを飽きずに続けようとする男に呆れる。

すると言えば聞かない性格なのは散々知っているとしても、しつこいとは思わずにいられない。

「お前も淡泊だよなァ、あれだけヤってそういう冷めたこと言う?」

「男なんざみんなそんなもんだろ」

「俺様みたいに愛情深い男だっているさ」

腹の上に置いていた俺の手の上に、ルパンの手が重なった。

泡がなくなった今、その様子は光の屈折以外、何にも阻まれていない。

指の股に指先を差し込んで握られる。

愛情深いなんて、ものは言いようだ。

実際のところ、深まっているのは束縛と脅迫だ。

「俺は恋人にならなきゃ、お前の傍に居られないのかよ」

そう呟く。

恋人だなんて、ろくなものじゃない。

仮初ならそれほど楽しいことはないが、本気になるには危険過ぎる。

「そういうことじゃないって。恋人でなくてもいつでも一緒さ。でも、そうなれたらもっといいことだと思わない?」

「相手がお前じゃなきゃ、そうだと言ったかもな」

恋人になるには、この男は危険過ぎ、乱暴過ぎ、勝手過ぎる。

もとより、恋に振り回される体力は、俺にはもうなかった。

「次元ちゃん、もしかして俺のこと嫌い?」

「嫌いになれたら、苦労しない」

素直に言い、もう話したくないと手を握り返す。

会話はもういい。休ませて欲しい。

その心を込めて、俺は身体を預けた。


翌朝、俺は奴のベッドで目覚めた。

狭いシングルで、常に身体を縦にして寝ていたせいで身体が凝った。

猿顔の男は隣で寝こけていて、俺がつけたのであろう爪痕が白い肌に浮いていた。

俺が壁側に寄っていたせいで、出にくかった。

なるべく起こさないようにと身じろいでいると、腕が絡みついてきた。

「早いなあ、年食ったんじゃねえの」

目蓋を開けず、起き上がろうとした俺を抑えてしまう。

「そりゃそうだろ。いくつになったと思ってんだ」

「さあ、お前の年齢は知らないねえ」

「大方予想はつくだろ」

煙草も吸えず、ただ天井を見る。

実際のところ、確かな年齢は自分自身でもわからない。

大方このくらい、ということしか。

それはこいつも同じことで、いつまでも若く作ろうと、確実に年は食っている。

「じゃあ散歩にでも行くか、年寄りらしくよ」

今日も天気がいいし、とカーテンから差し込む光を見る。

そんなことするタイプだったかと、俺は違和感を覚えた。

「腰が痛い。遠慮する」

「ぬはは、そうか。じゃあ明日にしよう」

そう言って俺に軽くキスをする。

わざとらしい恋人の仕草だ。

キスは嫌いでなくても、どうにも受け入れられなかった。

その日は一日寝て過ごして、夜になって飯のためにベッドから出た。

そしてまたすぐ狭いシングルに連れ込まれた。


翌日、起きて朝飯を済ませると、奴は変装用のマスクと俺の付け髭、地味な色のトレーナーとズボンを用意した。

街の端まで行って、昼飯にしよう。

それが今日の予定だった。

よく晴れたフランスの日差しは暑かった。

初夏とはいえ涼しいものだと思い込んでいた俺は、厚着したことを後悔する。

とはいっても、腕まくりもできない。

肌は昔より艶をなくしたが、それでも年寄りではなかった。

「いつかこうして田舎に引っ込んじまうのもいいかもなあ」

青いばかりの田舎道、周囲が無人になった時、隣の男が呟いた。

「よせよ、お前には似合わないぜ」

日向ぼっこしながらボケていくお前なんざ見たかない。つけ加えて、俺は歩行を早める。

「あの女に振り回されてる方がよっぽどお似合いだ」

歩みを止めてしまったお前なんか見たくない。

この言葉は言わず、町外れの小さなレストランに立ち入る。

スパゲティなんかが置いてあって、それを食いながら少し話をした。

仕事は休むこと、しばらくここで暮らすこと、俺はここを出て行ってはいけないということ。

つまり、一人で仕事をするなということだ。

いつからか、こいつは俺が個人的な仕事をするのを嫌がり始めた。

俺の知らないところで死なれたら困るという理由だった。

お前ほどの男の替えはいない。

その理由は素直に嬉しかったし、所詮は金のためであったから、すんなりとその命令を聞いていた。

だが、今となってはただの束縛だったのだろうと思う。

「バカンスはいいけどよ、あんまり長いと困るぜ」

「どうしてさ。腕が鈍るからか?」

「それもある」

大きな理由は、俺の腕なんかじゃなかった。

このままルパンという男が腑抜けになって、刺激のない男になってしまう気がした。

俺との関係をやり直そうとするのも、嫌だった。

蜜月のように過ごしたところで、関係の年輪は変えられない。

「まあ、見つけておくさ。やる時には手伝ってくれよ、相棒」

「今更だ」

食後のワインを飲み、窓の外を見る。

眩しいほどに晴れていた。


奴と再び暮らし始めてから、三か月が経った。

奴は、驚くほど出かけなかった。

買い出しと、軽い運動のためには出て行くが、少し車を出せばたどり着ける繁華街へ行くこともなかった。

ひたすら俺とテレビを見ているか、射撃場での腕慣らしに同行するか、本を読むか。

最初はさほど気にしなかったが、日数が経つにつれて俺の調子が狂ってくる。

女を抱かなきゃいられないはずの男が俺としか寝ないのも、かなりの違和感だった。

女を抱くことに関して、俺が何か言ったことはないし、何も思わない。

むしろ男として健康であってくれる方が、安心だった。

「おい」

「なぁに~~」

隣で古文書らしい書簡を読んでいる男に、俺は話しかけた。

負担軽減用の眼鏡をかけ、何かメモも取っていた。

「いつまでこのままのつもりだ」

「そう急かすなって。ごらんの通り準備中~」

ひらひらとメモを見せる。

だが眼差しは酷く面倒そうで、楽しげでもない。

仕方なくやっている、そんな風に見えた。

俺はこの緩く、何の刺激もない生活がいつまで続くのか、先行きが見えず焦燥に駆られていた。

その上女に興味をなくしてしまったような様子と、仕事のやる気も失ったような様子に不安を煽られた。

「俺が言ってるのは、仕事の話じゃねえ」

真面目に聞け、と口調を強める。

「……お前、随分腑抜けになったな。前は仕事となりゃ目の色変えてやってたくせに、今じゃ宿題するガキと同じ目だ。仕方なくやってるなら、やめちまえ」

「次元、面白い仕事がないくらい、前にもたまにはあっただろ。ご機嫌ナナメなのかい、ベイビー」

「やめろ、ごまかすな」

頬にキスしてこようとしたのを避け、ソファーから立つ。

「今のお前は、つまらない」

「刺激がないって言いたいのか?」

「そうだ」

「俺なりの優しさなんだけどなあ。お前を危険な目に合わせたくない、でも欲しがるものは与えてやりたい」

言いながら、またメモを続ける。

「そんなの優しさでも何でもない。ただの飼い殺しだ」

「世の恋人同士や夫婦を全部そう言うつもりかよ」

「俺たちは恋人でも夫婦でもない!」

俺は声を荒げた。

平凡な幸せを描く人間たちと俺たちは、まったく遠い存在だ。

長年連れ添ってはいるが、互いの安寧のためにと一緒になった覚えなど、一度もない。

誰よりも背中を預けられるから、信頼に足るのはお互いしかいないから、共に居れば何より満たされるから。

その理由があったから共に居た。

それは世のカップルや夫婦も同じかもしれない。

だが、俺たちが命の危険を伴ってでも求めるのは、二人の結晶ではない。

互いの自己満足のためだ。

互いのために尽くそうとする恋人同士、もしくは夫婦などと、とても呼べた関係じゃない。

「それ、お前も言うのな」

「はッ、不二子にも同じことしたのか?」

「結婚しようと思ったからさあ。浮気もしないで、家族作ろうと思って頑張ったんだけどなあ」

男は天井を見上げ、少し物憂げに目を細めた。

「あなたと私は、夫と妻にはなれないってさ」

「平凡な幸せに満たされるような女なら、最初からお前の傍に居たりしないだろ」

「……それはお前も同じってこと?」

黒い瞳が俺を映す。

俺も同じようにルパンの顔を瞳に映した。

表情の薄い顔は、顔立ちが表情に邪魔されずよく見える。

俺はこの顔が好きだった。何も言わず、ただ真に見つめられる。

それだけで胸が燃えそうになる。

だが、それだけでは今は満たされない。

「刺激のないお前なんざ、御免だ」

苦しみがなく心地よい愛とは正反対の、藻掻くほど痛烈な愛。

それが、ルパンという男がもたらすものだ。そう願いたかった。

「それじゃあさ、お前と俺の決着はどうすんのよ。今まで通りでいいっての?お前が苦しんでるように見えたから、俺だって変わろうとしたんだぜ」

奴は拗ねるように言った。

この男の言う通りで、今まで通りであるなら、度々俺は苦しめられるだろう。

しかし俺はそもそも、安らぎだけで生きていけるタイプではない。

こいつほどではないと思っていたが、俺も、相当に刺激がなければ生きていけない。

たとえその刺激が毒であろうと、全身に回ろうと、ないよりはあった方がいい。

それに俺は、誰かのためではなく、呆れるほど自分のために生きる、ルパン三世という存在を愛していた。

「エゴイストのお前が、好きだ」

肘かけに座り、少し狭い額に口づけを落とす。すると、顎の下に唇が返された。

「あーあ、お前ってば根っからのマゾヒストなんだよな」

腕を引かれて、そのままソファーに腰を落とした。

ルパンは俺を背中から抱き、子どものように足を絡ませてしがみつく。

「俺様も無理し過ぎて、ちっと疲れたわ。やっぱ年かな」

「いいや、お前は若いさ。風呂でヤった時は燃えたぜ」

「下半身はって意味でしょ、それ。心の話よ」

「別に老けちゃいない。安心しろ。お前はお前のままだ」

誰よりもワガママで、自由で、自分の欲で動いている。

それは昔から変わらない。変わって欲しくもない。

「ふふ、次元ちゃんてば、俺より俺を知ってるんじゃねえの」

「長い間見過ぎただけだ」

「それは俺も同じはずなんだけどな。お前をずっと見てきて、何もかもわかってると思ってた」

違う。お前は俺の傍に居たが、見ていたものは別のものだ。

いつだって前を見ていて、俺はその端に居ただけ。

言おうか迷い、結局言わなかった。

お前が気づかないのなら、それでいい。

そう思いながら、腕を抱く。

ようやく、元に戻れた気がした。







少しだけ月日が経った頃、ルパンはソファーに寝転がっていた俺にタブレットを持って見せた。

「仕事だぜ、次元」

「やっとか。身体が錆びついたぜ」

タブレットには実業家らしい中年の男が映っている。

宝の画像でないということは、現金か、黄金か。

「すぐに振り落とせるさ。なんてったって俺様の相棒だからな」

ルパンは楽しげに言い、ソファーに近づく。

起き上がって隣にスペースを開けると、そこに座って液晶を触った。

「でかい仕事だからちょっとばかし時間がかかる。決行は三か月後だ。お前にも山ほど手伝ってもらうぜ」

「狙いは?」

「五億ドルの現ナマ。最近、デジタル化が一気に進んだだろ。その影響で、今は仮想通貨でロンダリングするのがほとんどなんだが、仮想通貨で車も家も買える時代にはまだ早い。仮想通貨から一回現金に戻すんだが、その時を狙う」

ルパンがそう説明したが、デジタル化に詳しくない俺は理解できているかもどうかも朧気に頷く。

「五億ドルか、悪くないな。一体どこの金持ちから巻き上げるんだ」

「仮想通貨投資の第一人者。ま、本職はハッカー集団を使っての情報収集家でよ、個人情報から国家機密まで切り売りしてる」

集団のアジトはこのフランスにもあるんだ、とパリの地図を見せる。

そこから世界地図に映り、赤い点がいくつか浮かび上がる。

世界中にその点はあり、かなり大規模な集団らしかった。

「支払いは仮想通貨のみ、あくまで投資って形だから足もつかねえ。頭のいい野郎だぜ」

ルパンは言いながら、世界地図を閉じた。

「しかし、五億ドルを現金化なんて多過ぎるんじゃないのか。目立つだろう」

「ああ、そこは単に新居を買うってんで、用意するのさ。ゴルフ場、プール、おまけに博物館もついてる大豪邸だ。こっちの権利書もついでに盗んじまうか?」

画面が変わり、完成図のイメージ画像がいくつか現れる。

中身は悪くないが、全面ガラス張りで居心地は最悪そうに見えた。

「どれも趣味じゃねえな」

視線を逸らし、興味がないと顔も背ける。

「それより、作戦は?」

頂くものも重要だが、要は作戦だ。

警備状況などはまだ知れないが、裏稼業に手を染めているだけ素直にいかせてもらえる相手には思えない。

「実際に動くのは支払い日の前日。銀行から奴の家まで同行させてもらう。その準備はもう済ませてあるぜ」

「運転手に成りすますのか」

「いいや、そもそも俺たちが正規の運転手だ。もう俺たちは選ばれてるんだぜ」

そう言って出されたのは求人広告のページだ。

お付きの運転手、日給は一五〇ドル、週休二日とよく見る条件が提示され、そのマイページには応募履歴が残っていた。

「何とかシフトは細工する。当日までは別の奴が働いてくれるから俺たちが出張る必要はない。当日、車も金もそのまま奴の邸宅に運ぶ。そして奴さんが安心して寝ちまった頃に、排水管からどんぶらこって寸法よ」

「お前にしちゃマトモな作戦だな」

特に荒のない作戦に思えて、俺は安心する。

「いろいろあったし、念には念をってわけよ」

「スリルが足りないのと違うか?」

堅実にやり過ぎればすんなり行き過ぎる。

それに越したことはないが、俺たちが目的にしているのはやりがいだ。

「ああ、それなら心配ないぜ」

ルパンはにやりと笑い、白いカードをどこからともなく取り出した。

「パーティーの招待客は多い方がいい」

それは予告状で、出す相手は決まっていた。

「主賓を食う客はやめておくのが利口ってもんだ」

どんぐり眼のいかつい男を思い出し、笑った。

あの男が居るなら、スリルには事欠かない。

俺はルパンらしい仕事だと、安堵した。


作戦の決行日は、思いの他すぐに訪れた。

ルパンは地下の水路を輸送用に改築すると言い出し、たっぷり一か月は下水で作業をさせられた。

邸宅地下の水路は、防犯のために酷く狭かったからだ。

人一人が通れるのがやっとだという広さを、コンクリートの壁を壊し、土をドリルで削り、二人通れるまでに広げた。

その改築依頼は、ルパンがわざと排水を破壊してくれたおかげで出たものだった。

久しぶりの肉体労働のおかげで、痩せていた身体にも肉と体力が戻っていたが、改築作業のほとんどを俺一人で行ったのには文句を言った。

それをあいつはいい運動になっただろうと笑い、綺麗にしたらいつでも抱いてやるから許せとふざけていた。

もう一か月は、ハッカー集団を混乱させるのに費やした。

有能で全世界に散らばる奴らのおかげで、予告状を出してしばらくして居場所が割れた。

南フランスのアジトが割れないよう、水路工事と同時に近場に引っ越していたのだが、突然押し入られた。

それから派遣されたらしい殺し屋たちに追いかけ回され、いくら逃げてもすぐに見つけられる。

ルパンは想定のうちだと言い、二週間逃げ回ったところで反撃に出た。

ハッカー集団とはいえ、すべてがコンピューターまかせではない。

あくまで情報を動かしているのは人間だ。

ルパンはモノになる情報を、毒を交えて奴らに売り渡した。

奴らは喜んで飛びつき、その情報を高く買った。

それはルパン三世の動向だった。ルパンは驚くことに、当初は真実をそのまま売り渡していた。

そして信頼を得るようになって、少しずつ嘘を交え始めたのだ。

ルパン三世は殺し屋に追いかけられて困窮している。

相棒の次元大介は仕事を降りた。現金を諦めるのも時間の問題だ。

地下水路は派遣された工作員たちが破壊している。

これらはすべて嘘だったが、奴らはすんなりと信じてくれた。

そして最後に、ルパン三世が死んだという情報を流した。

殺し屋に追い詰められ、アジトに火をつけて今まで盗んだ宝と共に死んだらしい。

よくやる手ではあったが、今回はかなり手が込んでいた。


本当に殺し屋をアジトに招き入れ、その場で火をつけた。

そしてガラクタを詰め込んだ部屋に飛び込み、ルパンと背格好の似た、骨入りの人形と入れ替わった。

全焼した部屋の中から、骨になった死体が出てきた時、銭形が飛んできた。

ルパンはこんなことでは死なない、DNAを調べてくれと言っていたが、あまりにも損傷が激しく鑑定できないと鑑識がうろたえていた。

苦労して鑑定したところで、あの骨は医学病院から盗んできた実物標本だ。

遥か過去に死んだ誰かとわかるまで調べるには、日数がまるで足りない。

ルパンはそう言っていた。


決行の一か月前は、驚くほど大人しくしていた。

ほとぼりが冷めるのを待つ、と言ってあのアパートで日がなサッカー中継を見て俺と賭けをするか、階下のリストランテで女主人をナンパするか、俺と寝るか。

だが夜になれば、決行の日に備えて遅くまで液晶を見ていた。

「後は運び出すだけなんだろう。まだやることがあるのか?」

コーヒーを持ち、目の前に置いてやりながら尋ねる。

「まだまだあるさ。盗んだ後、金がないことに気づくまで、二時間近くある。てのも、半日に六回もチェックがあるんだ。札がすり替えられてないかまでチェックする。二時間じゃ水路を出ても逃げるまでの時間がちっと足りねえんだよなあ。何か上手くごまかす手立てはないもんかね」

顎を擦りながら、タブレットの資料を睨めっこする。

「逃走の時も、五億ドルはさすがに目立つし重過ぎる。地下水路は狭いし逃げ場がないだろ、だからさっさと地上に出ないといけねえ。地上に出ても、ヘリは目立つ、車じゃ距離が稼げない。陸地だから船も使えないしさぁ……どうするよ?」

「いつもそうだろうが。お前が考えろ、俺がケツを守ってやる」

そう言って使い慣れた銃を見せれば、ルパンは噴き出した。

「頼もしいなあ、世界一だ」

タブレットをテーブルに置き、俺が淹れたコーヒーを口につける。

「まだ続けんのか」

「逃走ルートを決めておかなきゃな。迷子になったら困るだろ?」

「お巡りさんは警察署までしか案内してくれないしな」

俺にも見せろと、タブレットで衛星写真を見る。

時代が進み、便利になった。

昔は古い地図を掴まされてルート変更をしたこともあったが、今やほぼリアルタイムで更新される。

出向かずとも、アラウンドビューで景色もわかる。

逃走時の夜とは若干景色の印象が違うが、それでも大いに役立っていた。

「すげえ時代だな」

「そうだなあ。できることが増えた」

「あまりにも早過ぎる。いつか振り落とされちまうぜ」

「お前が振り落とされそうになったら、ちゃんと俺が掴んでやるよ」

そう言って肩を抱く。

俺はそうしてくれと返した。

だが、心のどこかでたとえ俺を引きずろうと手を離してはくれないのだと感じた。


決行の当日、俺とルパンは正規の運転手として乗り込んだ。

金の搬送は問題ではなく、屋敷には何事もなく到着した。

本番はここからだ。搬入を終えて、俺たちはすぐ屋敷の藪に潜んだ。

巡回が来るまで、二時間もない。

その間に札束をビニール袋に詰めて、同じフロアの、排水溝の穴がある部屋まで運ばなければならなかった。

予定では、札束はこの屋敷と排水施設を繋ぐ流れの境目でせき止められ、それを回収して車で逃げる算段だった。

だが、銭形の登場によりまず三十分も足止めを食らった。

「どうすんだよ、ただでさえギリギリの計画なんだぜ。これじゃあ水路に流してる途中で捕まるぞ」

屋敷の主人に食ってかかり、日夜見張りを続けろと要求する銭形を藪の中から窺う。

主人は玄関前で、得体の知れない男を警戒していた。

見張りなどしなくても監視カメラもセンサーもある。目視でも確認している。

あれだけの札束を、コソ泥の奴が根こそぎ奪えるはずがない。

言い合いをしばらく続けて、結局主人が折れた。

巡回は一時間ごとに変更する。家の外は銭形にまかせたと。

俺は盛大に舌打ちをした。

「おい、黙ってねえで何とか言えよ。お前が呼んだ客のせいでメインステージが潰れたじゃねえか」

隣に居た男を肘で小突く。ルパンは喚くなよと面倒くさそうに言い、場所を移動した。

屋敷の地下へ侵入するために外のマンホールを開け、下へ降りた。

ドブの臭いを嗅ぎながら、ルパンを追う。

「どうすんだ、ここから」

「こうなっちまったら強行突破だな。この排水溝を潰して騒ぎを起こす。そうしたら、きっと金を別の場所へ移そうとするはずだ。その時を狙う」

「あーあ、俺の仕事の意味はあったのかよ」

せっかく二人入れるほど広くしたのに、と俺は文句を言う。

「ぶつぶつ文句言うなよ。広くしたおかげで爆弾は仕掛けやすいし、もし一人用のままだったらやるのはお前一人だったんだぜ」

「汚れ仕事ばっかりやらせやがって。分け前ははずめよ」

文句は言いつつ、俺は持ってきていたいくつかの小型爆弾を壁に貼りつけた。新型らしく、コインほどの大きさだったがかなりの大爆発を起こすという。それをなるべく天井の方へ接着剤で設置する。ルパンもそれを手伝って、三十ほどを片付けた。

「俺が上に戻ったら、金を出すように焚きつける。お前はいつでも出られるように車を温めておいてくれ」

「銭形はどうするんだ。奴は絶対お前を疑うぞ」

「それでいいのよ。バレたとして、屋敷から煙が出ている状態だ。家主は絶対に金を運び出す。俺が銭形に追いかけられて逃げたと知ったら、ますます安心してくれるぜ」

悠々と言う。

その通りになればよいがと祈りながら、俺は言いつけ通り外へ出て、最初に運び込んだトラックに再度戻った。

トラックには最初から仕掛けがしてあり、奥にフィアットを眠らせていた。

トラックは荷物が運べる分、動きが鈍いし目立つ。それに備えてのことだった。

じきに、地下から爆発音が聞こえてきた。

ガレージからそろそろとトラックを出し、玄関先を窺う。

煙の上がる屋敷を見て混乱した主人は、止める銭形を突き飛ばして家人に金を運ばせていた。

その中にはルパンの姿もあった。

銭形は運ぶならパトカーでとまだ喚いており、俺は先を越されるより前にトラックを発進させた。

「早くこれに金を詰め込みましょう。あなたと警部が同乗すれば心配ないでしょう」

ルパンが声色を変えて主人に叫ぶ。

主人はうろたえながら金を運ばせ、すべてを乗せ切ったところで、自身も乗ろうとした。

ルパンはそれを手助けするフリをして、放り捨てて自分が乗り込んだ。

「五億ドルは頂いていくぜ!」

安心しな、あの煙はただの煙幕だ。

そう言い残し、食らいつこうとした銭形も蹴り落とした。

そして隠していたフィアットの後部座席に、金を放り込み始める。

だが、狭い車のせいで積み込めるのはせいぜい一億ドルだ。

「残りはどうすんだ。返すのか」

後部用の窓をバックミラーで見ながら、俺はルパンに尋ねた。

「んなわきゃないでしょ。港まで走れ、そこで処理する」

命令を受け、俺は速度を上げた。

港までは遠い、処理すると言っているが、重りをつけて海に沈めておくのだろうか。

考え始めた瞬間に、もう背後からサイレンが鳴いているのを聞く。

「ルパン!港までなんてとても無理だ。残りの金は捨てて行こう」

窓を叩き伝えると、すぐにもう一つのエンジンがかかる音がする。

「ちぇ~、もったいねえなあ」

ルパンは言うなり、ワルサーで後ろの扉を開け放った。

そして札束を轢きながら、勢いをつけてバックする。

車の影がバックミラーから消え、サイドミラーを見ると小さな黄色い車が横についた。

札束でパンパンになった後部座席の前に、空の助手席があった。

「そのまま飛び降りろ、次元!」

「残りの金は?本当にこのままでいいのか」

「心配すんなって」

にやりと笑うルパンのことだ、何か策はあるのだろう。

そう思いながら、飛び降りる。

上手く助手席に着地し、すぐに後ろを振り返った。

車のスピードが空気を掻き分け、それに押し退けられた空気が激しい風となって俺の上半身にまとわりつく。

帽子を抑えて様子を見ると、パトランプの軍勢は合流を繰り返して規模を大きくしていっていた。

まるで赤い津波だった。

トラックは運転手を失って制御不能になり、そのまま横転した。

だが道は塞がらず、パトカーの群れは減らない。

マグナムで潰してやる、と俺は腰のリボルバーを取り出した。

その時、俺はパトカーとは違う、鳥のような何かが空から追いかけて来るのに気づいた。

「何か変なのが飛んでるぜ」

俺がそれを報告すると、ルパンはバックミラーを見た。

そして、カラスじゃないと口を開いた。

「多分追跡用のドローンだ。ハッカー集団のどこかの誰かさんが操縦してるな。大方、俺たちの寝ぐらまでついて来る気だぜ」

「覗きとは趣味が悪いぜ」

俺はマグナムを掲げ、撃ち放った。

久方ぶりの慣れた衝撃が身体に響き、魂が解放されたような気分さえした。

弾は真っすぐにドローンを落とし、残りの十数機も残らず片付けた。

何台かのパトカーがドローンの落下に驚き減ったが、それでもしつこくて追いかけて来ていた。

俺は空になった薬莢を夜道に巻き捨て、スピードローダーでシリンダーの穴を埋めた。

「ルパン、少し速度を落とせ。奴ら距離を詰める気配がない。おそらく俺たちの車のガソリン切れを待ってやがる」

「どうすんだぁ?」

「防波堤を作る」

俺たちの後ろの道を断つ、と伝える。

ルパンは少し速度を落とし始め、パトカーとの距離が縮まる。

ここはハイウェイで夜中なだけに一般車はほとんどない。

あっても俺たちが通り過ぎると後方のパトカーの群れに慄き、端に寄って停車している。

これならば巻き込まれずに済むだろう。

「次のインターまであとどれくらいだ」

「一kmってとこだな」

「そこで止まってくれ」

「りょーかい」

距離を取りながら走り続け、数分でたどり着く。

俺はインターを知らせる看板の大きさを見て、その先で止めろと伝えた。

先の爆破で使ったコイン型の爆弾を五枚握る。ルパンは背もたれに寄りかかって煙草を吸い始めた。

俺はパトカーの群れが来るのを待っていた。俺たちがガス欠を起こしたと思い込み、パトカーは速度を上げていた。そして距離はあと二〇〇mというところで、出せとルパンに伝えた。

「何を見せてくれるんだ、相棒」

「お前が望むものさ」

「んはは!期待してるぜ」

コインを空高く投げ、看板の近くまで上った時、瞬時に五発撃った。

爆発により、巨大な看板が空に吹っ飛ぶ。そして一瞬空中に停止した後、黒煙の中から落ちてきた。

バリケードのように上手く落ち、パトカーたちが慌ててブレーキを踏む。

何台ものブレーキ音は姦しく、一つの悲鳴のようだった。

止まり切れず何台かがぶつかり、中から警官がわらわらとアリのように張って出た。

そして俺たちに向かって発砲し始めたが、下手な鉄砲を数多撃つが、当然当たりはしない。

「次元ちゃんや~る~~!」

「お前はいつも喜ぶのが早いんだよ。また来るぜ」

看板を無理矢理乗り上げてくるパトランプを見つけ、撃鉄を上げる。

「次は何だよ、懐かしの鉄トカゲか?」

「それより随分馴染み深くて、しつこい野郎さ」

「あは、ほんとォ」

ルパンが振り返り、わざと速度を緩やかにしながら発進した。

一台のパトカーはすぐに追いつき、ウインドウからトレンチコートの男が大きな顔を出した。

「ルパァン!」

「よ~とっつぁん、しばらくぶり~」

血気迫る男に向かって、気の抜けた返事をしながら手を振った。

「何がしばらくだ、貴様この半年どこで何を……」

「次元にでも聞いてちょうだい。詳しく知ってっから」

「俺に振るな。さっさと撒いちまえ」

挨拶のために速度を落としていたが、この車は改造されて、一般車ではとても出せない速度も可能だ。

パトカーの一台くらい振り切って一般道に下りるのもたやすい。

「だってさ、また今度教えてやるよ」

ルパンは言うなり、アクセルを踏み込んだ。

ぐんと身体を引かれるほど加速し、パトカーの前に踊り出る。

「次元ちゃん、さっきのお釣りってまだある?」

ルパンがそう言って手のひらを出す。

おそらくコイン大の爆弾のことだろうが、さっきので使い切ってしまった。

「生憎、すっからかんだ。かわりに鉄の玉でいいだろう」

俺は残りの一発をパトカーの中に向けた。

そしてシフトレバーに照準を合わせ、惑いなく撃ち放った。

当然の如く命中し、レバーは吹き飛んだ。

運転手の警官が混乱し、ブレーキを踏む。

実際、その方が利口だった。

この速度で、レバーもなしに運転すれば確実に事故を起こす。

ルパンはそのままハイウェイを駆け抜けて、ヘリの目が届かないように下へ降りた。

そして寝静まった街を走り、逃走用に用意していたいくつかのアジトから空港に近い場所を選んでそこに落ち着いた。


灯りがついていると居場所がバレやすいとのことで、スタンドの明かりしか灯さず、リビングで祝杯を挙げた。

しばらくぶりの祝杯は心臓に染みて、言葉にし難いほどうまかった。

仕事をしている時こそ、俺の五感が喜ぶ。そう思えるほどだった。

「今夜も最高だったぜ、相棒」

ルパンはシャンパンを口にしながら、俺の脇腹に手を回した。

俺もさ、とその手に触れ、シャンパンを飲む。

刺激に満ち、危険に満ち、成果に満ち、お互いが引き立て合って、生命を楽しむ時間。

この男と作り出すものは、やはりこれ以外にはなかった。

「そういや、置き去りにした残りの金はどうなったんだ?」

酒の肴に尋ねる。何とかすると言っていたが、結局できたのだろうか。

「ああ、アレね。不二子が釣って行ったんじゃないかな」

女の名前が出てきて、俺はルパンを見る。

この仕事に絡んでいるなど、一言も聞いていなかった。

「そんな目で見ないでくれよ。仕方なかったんだよ、今回は」

ルパンは苦く笑い、俺の腰を撫でる。

「本当はあいつ込みで計画してたんだけど、そうすっとお前の機嫌が悪くなるだろ?かといって不二子に声もかけないんじゃ、あいつも顔が立たない。まあ、イエスと言うつもりもなかっただろうけど。だから、気が向いたら四億ドル受け取ってくれってさ」

「……それで機嫌を直す女か」

金にがめついが、自分のプライドだって守る女だ。

金でこの男の仕打ちを許すとは思えなかった。

ルパンはそう祈ってるのさ、と酒を注いで煽った。

「これで不二子の話は終わり!この先は俺たちの話をしようぜ」

グラスをテーブルに置き、腰を掴んで俺にのしかかる。

狭いソファーに倒れた。何を話す気なのかと、俺は抵抗せず続きを待った。

「なあ次元、しつこいかもしんないけどさあ。俺はやっぱりお前との関係には、名前か形が欲しいなあ」

顔を覗き込まれる。薄暗い中では、顔の陰影がくっきりと浮かぶ。いつもよりずっと、目鼻立ちが強調されて見えた。

「何のために」

この関係に名前や形なんて、野暮のように思えた。

いくら言葉を尽くしたところで、そんなことに意味はない。

この世界の、あらゆる言語をより集めたところでそれに収まるものじゃない。

むしろ、収めることで落とし込んでしまう。そんなことをしたって、何の得があるのか。

「他人に見せつけるためにさ」

ルパンは自慢げに笑った。

「これがどれだけいいものか、知らせたい」

それから笑みを緩めて、恋人のように目を細める。

睫毛と目蓋に挟まれた瞳の奥に吸い込まれそうだった。

「お前がどんなに俺を許してくれて、愛してくれて。俺が望むように銃を撃ってくれて。俺様にどれだけ必要なものか。お前が俺をどれだけ中心に置いているか」

目蓋の上まで伸びた前髪を掻き上げ、軽くキスを落とす。くすぐったいほど、優しかった。

「そんでもって、俺がどれだけお前を愛してて、頼りにしているか。お前に自由を分けてもらっているか、俺を幸せにしているか」

次のキスは唇に落ちた。

軽いが、長く、息を吸い取ろうとするようだった。

ルパンの口説きは聞き慣れたものだったが、俺は耳を傾けた。

ほとんどは、ルパンの言う通りだった。

だがそれが真実であればあるほど、余計言葉は要らなかった。

「匂いに名前や形をつけるようなもんだ。いくら言ったって、正解は曖昧だ。意味なんかない」

香水の香りが、その存在の匂いでなく、成分の組み合わせの結果に過ぎないように。また、形という概念を持たないように。

「いいなあ、そのたとえ」

ルパンは楽しげに笑った。

「フレグランスのキャッチコピーみたいな、長くて情熱的な詩みたいな名前にしとくわ」

そして、到底俺の話など聞いていない返事をする。それがいつも通りで、何よりも安堵した。

「へえへえ、好きにしな」

そして俺も、言い慣れた台詞を口にしたのだった。


大仕事から、数か月が経った。季節は冬に近くなり、風も冷たくなった。

ルパンと俺は変わらず南フランスのあの部屋で暮らしていたが、生活は通常に戻っていた。

ルパンは自由に出かけ、俺は部屋でのんびりと過ごしている。

ルパンの無茶につき合って小さな仕事もすれば、熱に浮かされたように一晩を過ごすこともあった。

ルパンと不二子はまだ戻っていないらしい。

先日の四億ドルは取りに来なかったらしく、無事持ち主の元へ返されてしまった。

女の恨みは長いと思ったが、特に俺の干渉するところではなかったし、ルパンも俺の前ではそのことを持ち出さないのとで、話題にすることはほぼなかった。

今は仕事もなく、ルパンは不二子より俺をかまいたいターンだった。

俺が部屋で自分とルパンのスラックスにアイロンをかけているというのに、背中に小猿のようにしがみついていた。

「ねぇ~~次元ちゃん、お願い。やっぱりさ~~、結婚式はしようよ。俺とお前だけでいいからぁ」

「いつまでわけわかんねえこと言ってんだよ」

「だってしたいんだもん。何でこんなにお願いしてるのに聞いてくれねーんだよ~~」

もう五度は断った話を振り返し、しようしようと耳元で喚く。

あまりのしつこさに、俺は一度アイロンを置いた。

「お前さんもしつけえな。やりたきゃあの女とやってろ」

離れろとルパンの脇腹を押すが、びくともしない。

「本当にしたら、泣いちゃうくせに」

「せいせいして、嬉し泣きならするな」

これは長くなると諦めて、シャツの胸ポケットから煙草を取り出す。

灰皿はなく、火をつけず蒸すだけだった。

「素直じゃな~~い。そういうところが好きなんだけどさあ」

俺にぐずるように縋りつき、身体をまさぐる。

反応したら負けになる、と気を逸らすために窓の外を見た。

清々しく晴れていて、空も青く、雲も真っ白だ。

「百歩譲ってするとして、一体誰に誓おうってんだ。神様なんざ蹴っ飛ばしちまうお前が」

誓うための神もないくせに、そんな儀式は無意味だ。

「もちろん、俺様自身!」

「……ぶは」

揚々と言う姿に、俺は思わず噴き出した。

実にルパンらしい台詞だった。

「一番当てにならねえな」

誰よりも自由で、誰よりも自身の幸せを追い求める男に誓ったところで、何の意味があるだろうか。

だがそれでも、俺は結局のところこの男を信じていた。

この男に長年蝕まれた思考がそうさせているとも言えた。

だからといって、今の俺が幸福ではないという話でもない。

この男に好きで振り回されて、苦しみも自ら受け入れている。

「……帽子に花くらいなら乗せてやる」

「さすが次元ちゃん。そう言ってくれると思ったぜ」

わざとらしく、頬に口づけて抱き締める。

結婚など、そんなもの、遊びでもしたところで俺を苦しめる思い出にしかならなそうだ。

だが、この男のもたらす、喧騒と恋情が相手なら、結婚も悪くない手だった。

つい、俺もその気になって、町外れにある小さな教会へ向かう道のりを思い出した。

そして、記憶の中で石造りの白い建物にたどり着く。

その時、結婚を誓う時に掲げられている教会の十字架は、葬式の日にも掲げられていることに気がつく。

「あーあ、これでお先真っ暗だ」

この男に、骨まで埋めるしかない。

笑いながら、果てしなく広く、青い天を仰いだ。





パリのバーに入ると、女が一人待っていた。

髪を短めに切り、うら若くも妖艶にも見える女だった。

「直接奴を呼べばいいだろうが」

隣に座り、バーボンをとバーテンダーに伝える。

「嫌よ、あんなシケた男。今はあんたの方がマシだわ」

「酷い言いようだな。最近は少し、マシになったぜ」

女は持っていたマティーニをテーブルに置き、俺を見た。

「自分がそうしてあげたって言いたいの?」

「まさか。あいつは俺の言うことなんか聞きやしない」

俺は拒否をしただけで、戻ったのはあいつだ。

「奴をアレだけ腑抜けにしたお前に、恐れ入ったぜ」

「当たり前でしょ、相手は私なのよ」

女はツンと顔を背け、リングケースを俺の方へ寄こした。

「こんな安物要らないから。あの人に返しておいて」

中身は聞かずとも知れる。

女は自分の勘定を置いて立ち上がった。

男が奢るのが当たり前だという高飛車な女が金を置くということは、借りは御免という意味だった。

「不二子」

「何よ」

去り際を呼び止める。

女は振り返って俺を睨んでいた。

「あんまり、つれなくしてやるなよ」

あいつはいつも強引で、頭が回るくせに時たまとんちんかんな答えを出す。

そんなのは、昔から変わらないことだったじゃないか。

あいつはあいつで、この女のことも愛している。

俺がそれを知らないはずもない。

「あなたからそのセリフを聞くとは思わなかったわ」

女は睨みを呆れに変え、高いヒールで俺の脚を軽く蹴った。

「何すんだよ」

「本当にエゴがないのね、最高に気持ち悪いわ。ルパンよりマシって言ったけど、忘れてくれる?」

「おい、言い逃げすんな」

あと蹴っただろう、と俺が抗議すると、女はふんと鼻を鳴らした。

「悔しかったら言い返しなさいよ」

それができたら、苦労しない。

思いながら、後ろ姿も見送らず酒を煽った。






END


 

 

 

 

 

「次元、おはよ」

穏やかな声に起こされ、俺は目を開けた。

ソファーの背から視線を上げると、エプロンを着けた奴が俺を覗き込んでいた。

昨晩は結局、何もせず別々に寝ていた。

「簡単だけど、朝飯作ったぜ」

「……ああ、わかった」

パキパキと鳴る肩を伸ばしながらソファーに座り直す。

ゴミや雑貨を落としたテーブルには、すでにコーヒーが置いてあった。

「パンとジャムしかねえけど」

「……不二子にもしてやってたのか?」

寝ぼけていた俺は、何気なく聞いてしまった。

言った後にしくじったような気がして、顔を上げる。奴は嫌味なく笑った。

「あのお姫様だぜ、自分で何かしてやるはずないだろ」

スライスしたフランスパンにマーマレードを乗せ、一口かじる。

その後に朝に叩き起こされて風呂を入れたり、夜中に呼び出されてデートをしたり、と苦労話を語った。

「ああ、今日も荷物を片付けねえとなあ」

そして不二子の話を区切り、皿を下げる。

俺は、どんな相槌を打てばよいのかと思いながら、ずっと生返事ばかりをしていた。

「部屋は分けてある。長く居るだろうし、お前好みのソファーも買っておいたぜ」

言いながら出窓を開け、生温い風を部屋に入れた。

それから、黙々と荷物を片付けていた。

てきぱきと片付ける奴を見ながら、この作業がなくなった時、何を話せばよいのか、そればかりを心配していた俺は手元の動きが遅かった。

あっという間に昼になり、奴は老人のマスクを俺に渡した。

銭形に見つかってねぐらを変えるのは面倒だから、そう言っていた。

その意見には賛同できた。

階段を降りると、奴好みの美人な女が食事を運んでくれた。

何でも彼女の夫は不運にも事故に巻き込まれて亡くなったらしい。

そして女手一つで生きていくために部屋を貸し出したらしい。

こんな爺でよければ悪漢くらいは追い払うから、いつでも呼んでくれ。

奴がそう言って白い手を握り、チップに色を足して会計を置く。

奴とは数十年共に居るが、女好きは魂に刷り込まれているように色あせない。

そんなことを思いながらガレットを口にする。

フレンチにしては素朴な味が、気に入った。

食事を終えて、各々の部屋の片付けに戻った。

俺のベッドはロフト式になっていて、マットレスや布団は入れにくかった。

何となく、あいつが来にくい構造だと思った。

今までは平置きのベッドで、もつれ込むのも押し倒されるのも容易いベッドだった。

俺に来いということだろうか。

考えながら、試しに寝転んでみる。

狭く、天井も近くて、逃げ場のない就寝スペースだった。

そこで、奴が来れば俺は逃げられない構造だと気づいた。

ソファーと寝床、それとクローゼットの中を片し、何とか生活はできるくらいのスペースができていた。

何のサービスなのかは知らないが、人型のターゲットマークの転写シールもついていた。

こんな至近距離じゃ、練習用にもなりはしない。

仕事抜きの遊びだと知りながら、丁寧にそれを貼りつける。

元から少し汚しの入ったそれは、部屋によく馴染んだ。

「じげ~ん、終わったかぁ?」

パーカーにズボンとラフな格好で奴が顔を覗かせる。

まだだ、と言いながら段ボールを外に出すため、奴を押し退けて横を通る。

「ああ、これもまだ開けてねえの。喜ぶと思ったんだけどなあ」

そう言って部屋の奥から大きな段ボールを引きずって来る。

そんなものがあったのかと言いながら近寄ると、中には大きなコンポーネントステレオが鎮座していた。

「レコードからCDまで対応してんだ。暇な時に使ってくれよ」

リモコンを渡し、夕方には部屋で食事を取ろうと声をかけて部屋を出て行く。

俺は自分がクラシック好きだったということを、久しぶりに思い出した。

奴が俺を迎えに来るまで、奴のせいで、そんなことを思い出す余裕もなかった。

コンポを箱から出し、コンセントに挿す。

何枚かついていたレコードの中に、シューマンのミルテの花なんて曲があった。

シューマンは好きだが、この曲はまったく俺の趣味ではなく、あいつが入れたのだろうとすぐに気がつく。

今聞く気にはなれず、そのまま袋に戻し、俺の気に入っているシューマンの曲を適当に流した。

情緒的過ぎず、地味過ぎない。心地がよく、そのまま片付けは放棄した。

数時間経って、トマトと肉の香りが上から香って来る。

誘われるように階段を上がると、すっかり片付けられたリビングで二人分の食事の用意をしている奴が居た。

「じゃがいものニョッキ、特製ボロネーゼ風だぜ」

料理名を聞いて、随分懐かしい記憶を思い出す。

まだ出会って間もない頃だ。

指先に切り傷をつけているのを見ながら、いつもなら口にしない他人の手料理を受け入れた。

気取っていて、まずくはないものの気に入らない味だったのも思い出せる。

「よく隠し味が手に入ったな」

「お前に食べさせたくてさ、ワイナリーから盗んできちまった」

嘘か本当かもわからない言葉を聞きながら、練った芋をフォークに刺す。

餅のようなそれは、昔の記憶とは随分違い、味が濃くてうまかった。

俺の味覚も変わったのだろうか。

当たり前だ、あれから何十年経ったか、曖昧にしか思い出せない。

「どうよ、俺様の愛の手料理は」

おどけながら、奴が赤ワインを煽る。

俺は笑いながら、気取り屋のお前らしい味だと返す。

テレビをつけ、何でもないドラマを見ながら完食する。

それを奴が片し、俺の隣に戻ってきた。自然に俺の肩を抱き、医療ドラマらしいそれをリスニング代わりに見ている。

そのドラマが終わると、討論番組が始まった。

「相変わらずつまんねえなあ、フランスのテレビは」

そう言ってあくびをし、風呂の準備をすると席を立つ。

俺は何をするでもなく、そのつまらない討論番組を見ていた。

眠気を誘うには丁度よく、腹も満たされてうつらうつらとし始めた。

「寝るならシャワーを浴びてからにしな」

戻ってきた男が、俺の目蓋にキスをする。

呻きながら目を開け、俺は脱衣所に行き裸になった。

バスルームのドアを開けると、浴槽には泡が山ほど立っていた。

洗剤の流し忘れかと思ったが、甘ったるい花の匂いを嗅いで入浴剤だと気がつく。

俺がそれを見て固まっていると、脱衣所のドアが急に開けられた。

「ありゃ、まだ入ってなかったのけ」

「お前なあ、こんなもの入れるんなら俺が入った後にしてくれよ」

「それじゃあ意味ないじゃん。一緒に入るんだからさ」

早く浸からないと風邪引くぜ。

そう言って俺を押し込み、自分も裸になる。

今更素肌を見て恥ずかしがるほどの仲ではなかったが、久しぶりなだけあって俺はさっさと湯船に浸かった。

泡があるのは、幸いだった。

「おじゃましま~す」

身体を流しもせず、奴が入って来る。

俺は向かい合うように脚を畳み、半分を奴に明け渡した。

「ふー、いいねえ。熱めにして正解だな」

マイペースに呟く姿を見ながら、俺は俯いた。

これまでのこいつの素振りが、あまりにもあからさまな行動に思えた。

まるで恋人のように接している。

以前もこんな風に過ごすことはあったが、それはごく稀で、あいつがそうしたい時だけだった。

今日も、奴がしたいからという風を装ってはいるが、実際は俺を懐柔させるためのパフォーマンスだった。

「ルパン」

「なぁーに」

「俺とお前は恋人じゃない」

俯きながら、泡に言葉をかける。息に飛ばされ、白い粒が散る。

「冷たいなぁ。俺とこうするのは嫌じゃないだろ?」

膝を突き合わせ、俺の前髪を撫でる。

水が滴り、額を晒された。

嫌かどうかと問われれば、嫌じゃない。

こいつと居るのは、確かに俺の幸いだ。

どんな形であっても、嫌ではない。

だが、やはり引っかかるものが大き過ぎる。

奴は突然戻って来て、都合よく俺を閉じ込めて、また自分の好きなようにしようとする。

元の木阿弥にはなりたくないと言ったのは自分のくせに、結局手口に変わりがない。

「ままごとは、好きじゃない」

言いながら奴の肩を見る。

白く綺麗で、女の爪痕もない。夜中に、汗に光る赤みを帯びた肌を思い出す。

その肩に縋りつき、前後不覚になるまで愛し合った記憶が蘇ってきた。

「とか何とか言っちゃってさ、目がとろけてるぜ。シたいのか?」

濡れた手のひらが前髪を掻き上げ直し、唇をなぞる。

シたい、シたくてたまらない。お前から受けた熱は、何度思い出しても夢中になれた。

「ルパン……シてくれよ」

「いいけど、代わりに約束してくれっか?」

「何を」

「お前の恋人は俺だって」

ルパンの手が、鎖骨から伝うように下がっていく。

泡に埋まり、水面に潜る心臓のところで止まり、俺の鼓動の早さを知られていることに気づく。

「俺が、約束することじゃない」

「責任は俺が取れって?お前も言うねえ」

ルパンは少し俯き、泡を眺めた。

何を考えているか、指先から伝わることもない。

お前が変えたいって言ったんじゃないか、そう思いながら、俺から口づけた。

 

「ん、ン…は」

深い口づけというのは、飢餓に似ている。

食いたくてたまらないと、その欲望だけに呑まれる。

俺はルパンの頭を抱えて、必死になって吸いついていた。

並びのよい歯列と、よく動く舌、溢れる唾液がとろみを増す。

何度しても、こいつのキスはよかった。

俺の返しを受けて、むきになるように返すのも、変わりなかった。

「ルパン、ん、触って、くれ」

キスだけじゃ物足りない。

そう伝えるために、俺の首に回っていた手を泡に沈めて胸に触らせる。

俺の身体は大して触り心地はよくないだろうが、触られるのはたまらなくいい。

「そんなに欲しがるなんて、随分素直だな」

ルパンも興奮したように、胸に手のひらを滑らせ、腰の際どい部分まで指でなぞっていく。

両手が身体中を愛撫してくれるのを感じながらキスをするだけで、俺は雄が硬くなるのを感じた。

早く欲しいと、俺は足の付け根を責めていた手を股座に誘った。

「嫌か?」

「まさか。俺を欲しがるお前は大好きだぜ」

指が窄まった辺りを軽く撫で、緊張がほぐれているかを確かめるために何度も揉む。

湯に浸かって弛緩していた肉は、包むようにその指先を受け入れていた。

「一人の間、誰かと寝た?」

ルパンに問われて、俺は昔馴染みとセックスをしたのを思い出した。

最後までしたというのに、この前戯より現実味も熱量にも欠けていた。

「ああ、寝たぜ」

「どこのどいつ?」

「言って何になるんだよ」

「知りたいんだよ。恋人なら聞いてもいいだろ」

ルパンは少し怒ったように聞き返す。

散々他の女と寝ておいて、俺のことだけ詰める気らしい。

「恋人なら過去のことなんて忘れてくれよ」

言いたくない、と暗に伝えればルパンは黙った。

そして俺に立つように促した。

腰を掴まれて湯から上がると、触ってもいないのにすっかり自分の雄は硬くなり上を向いていた。

でもそれはルパンも同じことで、お互い興奮しきっているのを知って笑ってしまう。

「元気だな、お前」

「それは次元ちゃんも同じでしょ」

向かい合うように抱き締め合って、雄を擦り合わせる。

それだけでも気持ちよく、呼吸の熱がまた温度を上げた。

「ルパン、早く、ナカに入れてくれよ」

「煽るなって。怪我させちまう」

そう言って俺に壁へ手をつくように言い、腰だけを引かせた。

シャンプー台の裏に隠してあったボトルに手を伸ばし、潤滑液を手のひらに垂らす。

火照った身体には少し冷たい粘液が、広く塗りたくられた。

「息、吐いて」

言われるまま、息を細く、長く吐く。

その中で指先がナカに入り、それだけでも身震いをした。

指は少しずつ深く沈み込んで、軽く動かされた。

処女みたいに優しくしなくたっていいと言いたかったが、軽く前立腺を擦られる快感で出るのは吐息ばかりだった。

「気持ちいい?お前はここが好きだったよな」

泡に濡れた背中を撫で、ルパンは俺のうなじにキスをした。

頷けば、指が増える。二本目も、三本目もすぐ呑み込めるようになり、穴が期待でヒクつき始める。

俺の我慢も限界で、たまらず自分の片手で片方の尻の肉を掻き分けた。

「あ……早く、挿れてくれ、ルパン」

「ふは、随分やらしいこと覚えてるな」

たまらない、そう呟いてすぐに、雄が突き当てられた。

よく解されたことと、積年の経験で、穴は素直に太いそれを呑み込み始めた。

カリ首を過ぎ、次第に太くなっていく竿に腹のナカを開かれていく感触は最初は苦しいが、それは束の間だ。

根元まで収まった時、俺は満たされて冷たい壁に額を擦りつけた。

「あ……、はぁ……」

「痛いところがあったら、言えよ」

緩い出し入れが始まり、この男に腹のナカを掻き混ぜられる感触を思い出す。

イギリス人とセックスをした時も気持ちはよかったが、それとはまるで違った。

心の底から興奮し、身体の芯から快楽が湧き上がる。

もっと激しくされたいと願い、言葉を失う絶頂を求めたくなる。

「あ、ん……足り、ね……」

ここまで咥え込めば、多少乱暴にしたって怪我はしない。

俺は腰を突き出し、押しつけるように腕を伸ばした。

「もっと?」

「ん、んん……」

律動が早くなり、奥に雄の先が当たるのを感じる。

奥に当たると脳が痺れるほど快楽に突き刺されるようで、喉を伸ばして顔を上げた。

「うぁッ、あ、ルパン……ッ、ルパ……ッ」

ピストンが激しくなり、俺もそれに突き動かされて声を上げる。

雄にも触られて、膝ががくがくと震えだす。

突かれる度に絶頂の階段を上り、ただひたすらにエコーのかかる自分の喘ぎを聞いた。

「次元、イく?」

張り詰めている俺の雄を扱きながら、ルパンが耳元で囁いた。

イきたいが、イきたくない。

まだこの感触を終わらせたくない。

そう感じて、俺は首を横に振った。

「まだ、シて、欲しい……」

ねだれば、ルパンは少し笑った。

顔は見えないが、きっと俺を見て興奮した目つきをしていることだろう。

その証に、肌を打つ音が鳴るほど激しく腰を振った。

足元の泡が掻き分けられて、水面が少し見えるほどだった。

「随分寂しい思いをさせちまったんだな、お前がこんなに欲しがるの、本当に久しぶりだ」

「あ、あッ、んう、あぁッ」

腰を両手で掴まれて、その手のひらの指が食い込む。

痛いほどだったが、そんなのは突かれる度に忘れてしまう。

片手を食い込む手の上に被せて、離さないでくれと硬く握った。

「ッ、次元、出していい?」

快楽に没頭していると、ルパンが先に俺にねだった。

正直に言えば、まだ犯され足りなかった。それでもナカに出される快楽が欲しくなり、頷いた。

「は、次元、次元、イイ、お前のここ」

何度やっても飽きない。

そう呟いて、バチンと叩くように腰を深く突き出す。

そしてそのまま震えて、生暖かいそれを俺のナカに噴き出した。

「ふぁ、あ、あッ、あぁ……う……」

脈打つ度に内壁に吹きついてまとわりつくのを感じて、俺の喉が震えた。

ナカがびくびくと痙攣を初めて、膝が折れそうになった。

ナカでイキかけているのがわかって、膝が折れないように必死になって壁に縋りつく。

だが蒸気に濡れた壁はいくら縋りついても音を立てて滑り落ちていき、もがくようにしかならなかった。

それを見かねて、ルパンが腰を引いた。

一度雄が抜けて、すぐに白濁が溢れてくるのを感じた。

「次元、こっち向いて」

「はっ、はぁ……ルパン」

腕を引かれて、向き合うようにひっくり返される。

そしてすぐに足を抱えられて、そのまま挿入される。

出したばかりだというのに、雄はまだ硬かった。

会話もなく二度目が始まり、俺はルパンに縋りつきながら壁に押しつけられて喘いだ。

雄を触られなくなった分、ナカの快楽だけが蓄積されていく。

出された精液でナカがぐちゃぐちゃにされ、掻き混ぜられ、引っ掻き回される感触は、感じる度に身体中を満たす。

こうなると待っているのは雌の絶頂で、その強さと暴力性が恋しくなる。

狂ってしまいそうなほど全身に来て、毒のようにいつまでも抜けない。

この男のモノにされる快楽は、真に暴力で、俺は抵抗もできない。

「あ、もう、来る、来ちまう……」

奥だけを狙い撃ちにされて、たまらず縋りついた白い肩に爪を立ててしまう。

「いいよ、俺に愛されてイくお前が好きだぜ」

ルパンからキスをされて、俺は目を硬く瞑った。

そして口を塞がれたまま、絶頂を迎えて思い切り叫んだ。

「んんンンッ、ン、んゥ、ンン――ッ」

口の中で吐き出された悲鳴が、エコーを尾につけながら響き、それと同時にナカが締まる。

自分の意思ではここまで締めつけられないと思うくらい強く、びくびくと身体全体も跳ねる。

全身が焙られるより強烈な快楽で、口が離れるとその端から唾液が大量に溢れ出た。

濡れた唇もそれを吸って髭から滴っていったものも、拭うこともできず、ルパンの腕の中で悶え続ける。

「ぅあぁ……ッ、ん、ァ、おわ、ら、ね……ッ」

荒波のように絶えることなく快楽が全身を巡り、咥え込んだ雄から精液を絞り出そうとするように穴が痙攣し続ける。

涙まで滲んで、耐えきれずルパンに縋った。

背中に、先ほど壁にやったように何度も指をしがみつかせ、そして滑り落ち、またしがみつく。

「は、いてて、次元……爪が痛いぜ」

ルパンが笑いながら俺の首元に吸いつき、強く吸った。

俺の余韻が収まるまで、それを何度も繰り返す。

「はぁ……は、は……」

ようやく絶頂が収まって、俺はすっかり力をなくした。

縋りついてもいられなくなり、ルパンに抱きかかえられたまま、挿入されたまま泡の湯船に浸かれるように下ろされる。

「顔真っ赤。よっぽどヨかった?」

振り乱した髪を耳にかけられ、頬を撫でられる。

飛びかけた意識が段々戻って来てはいたが、俺は言葉が出なかった。

「このまま俺に溺れてくれよ」

ルパンがそう言って、少し温くなった湯を俺の肩にかける。

溺れるなんざ、今更だ。お前が溺れさせて、毒漬けにしたようなものじゃないか。

死んだって浮き上がれないようにさせておいて、これ以上どこに沈めというのだろうか。

「……は、ルパン……もっと、つけてくれよ、これ……」

それでも溺れろと言われれば、溺れてやる。

ナカでぴくぴくと震えていた雄を少し締めつけながら、つけられたキスマークがあるであろう首元を見せつけるように撫でた。

 

その後、二度も狂ったように抱き合い、俺は完全に立てなくなった。

湯を張り直し、湯船の中で力の入らない俺をルパンが面倒を見た。

髪を洗われ、身体を洗われ、されるがままだった。

「トリートメントしてなかっただろ、ギシギシだぜ」

仕上げだとつけられたリンスが、髪に揉み込まれる。

自分の髪のことなど忘れていた俺は、傷んだ髪が肩の先まで伸びていたことにようやく気づいた。

「面倒だったんだよ」

たとえ傷みに気がついていたとしても、ケアなどしなかっただろう。

仕事的にも精神的にも、そんな余裕はなかった。

「じゃあ、これからは俺様がやってあげる。恋人には綺麗でいてもらわなくちゃ」

シャワーでトリートメントを流し、うなじに唇が当てられる。

「まだ続いてんのかよ、それ」

恋人ごっこを飽きずに続けようとする男に呆れる。

すると言えば聞かない性格なのは散々知っているとしても、しつこいとは思わずにいられない。

「お前も淡泊だよなァ、あれだけヤってそういう冷めたこと言う?」

「男なんざみんなそんなもんだろ」

「俺様みたいに愛情深い男だっているさ」

腹の上に置いていた俺の手の上に、ルパンの手が重なった。

泡がなくなった今、その様子は光の屈折以外、何にも阻まれていない。

指の股に指先を差し込んで握られる。

愛情深いなんて、ものは言いようだ。

実際のところ、深まっているのは束縛と脅迫だ。

「俺は恋人にならなきゃ、お前の傍に居られないのかよ」

そう呟く。

恋人だなんて、ろくなものじゃない。

仮初ならそれほど楽しいことはないが、本気になるには危険過ぎる。

「そういうことじゃないって。恋人でなくてもいつでも一緒さ。でも、そうなれたらもっといいことだと思わない?」

「相手がお前じゃなきゃ、そうだと言ったかもな」

恋人になるには、この男は危険過ぎ、乱暴過ぎ、勝手過ぎる。

もとより、恋に振り回される体力は、俺にはもうなかった。

「次元ちゃん、もしかして俺のこと嫌い?」

「嫌いになれたら、苦労しない」

素直に言い、もう話したくないと手を握り返す。

会話はもういい。休ませて欲しい。

その心を込めて、俺は身体を預けた。

 

翌朝、俺は奴のベッドで目覚めた。

狭いシングルで、常に身体を縦にして寝ていたせいで身体が凝った。

猿顔の男は隣で寝こけていて、俺がつけたのであろう爪痕が白い肌に浮いていた。

俺が壁側に寄っていたせいで、出にくかった。

なるべく起こさないようにと身じろいでいると、腕が絡みついてきた。

「早いなあ、年食ったんじゃねえの」

目蓋を開けず、起き上がろうとした俺を抑えてしまう。

「そりゃそうだろ。いくつになったと思ってんだ」

「さあ、お前の年齢は知らないねえ」

「大方予想はつくだろ」

煙草も吸えず、ただ天井を見る。

実際のところ、確かな年齢は自分自身でもわからない。

大方このくらい、ということしか。

それはこいつも同じことで、いつまでも若く作ろうと、確実に年は食っている。

「じゃあ散歩にでも行くか、年寄りらしくよ」

今日も天気がいいし、とカーテンから差し込む光を見る。

そんなことするタイプだったかと、俺は違和感を覚えた。

「腰が痛い。遠慮する」

「ぬはは、そうか。じゃあ明日にしよう」

そう言って俺に軽くキスをする。

わざとらしい恋人の仕草だ。

キスは嫌いでなくても、どうにも受け入れられなかった。

その日は一日寝て過ごして、夜になって飯のためにベッドから出た。

そしてまたすぐ狭いシングルに連れ込まれた。

 

翌日、起きて朝飯を済ませると、奴は変装用のマスクと俺の付け髭、地味な色のトレーナーとズボンを用意した。

街の端まで行って、昼飯にしよう。

それが今日の予定だった。

よく晴れたフランスの日差しは暑かった。

初夏とはいえ涼しいものだと思い込んでいた俺は、厚着したことを後悔する。

とはいっても、腕まくりもできない。

肌は昔より艶をなくしたが、それでも年寄りではなかった。

「いつかこうして田舎に引っ込んじまうのもいいかもなあ」

青いばかりの田舎道、周囲が無人になった時、隣の男が呟いた。

「よせよ、お前には似合わないぜ」

日向ぼっこしながらボケていくお前なんざ見たかない。つけ加えて、俺は歩行を早める。

「あの女に振り回されてる方がよっぽどお似合いだ」

歩みを止めてしまったお前なんか見たくない。

この言葉は言わず、町外れの小さなレストランに立ち入る。

スパゲティなんかが置いてあって、それを食いながら少し話をした。

仕事は休むこと、しばらくここで暮らすこと、俺はここを出て行ってはいけないということ。

つまり、一人で仕事をするなということだ。

いつからか、こいつは俺が個人的な仕事をするのを嫌がり始めた。

俺の知らないところで死なれたら困るという理由だった。

お前ほどの男の替えはいない。

その理由は素直に嬉しかったし、所詮は金のためであったから、すんなりとその命令を聞いていた。

だが、今となってはただの束縛だったのだろうと思う。

「バカンスはいいけどよ、あんまり長いと困るぜ」

「どうしてさ。腕が鈍るからか?」

「それもある」

大きな理由は、俺の腕なんかじゃなかった。

このままルパンという男が腑抜けになって、刺激のない男になってしまう気がした。

俺との関係をやり直そうとするのも、嫌だった。

蜜月のように過ごしたところで、関係の年輪は変えられない。

「まあ、見つけておくさ。やる時には手伝ってくれよ、相棒」

「今更だ」

食後のワインを飲み、窓の外を見る。

眩しいほどに晴れていた。

 

奴と再び暮らし始めてから、三か月が経った。

奴は、驚くほど出かけなかった。

買い出しと、軽い運動のためには出て行くが、少し車を出せばたどり着ける繁華街へ行くこともなかった。

ひたすら俺とテレビを見ているか、射撃場での腕慣らしに同行するか、本を読むか。

最初はさほど気にしなかったが、日数が経つにつれて俺の調子が狂ってくる。

女を抱かなきゃいられないはずの男が俺としか寝ないのも、かなりの違和感だった。

女を抱くことに関して、俺が何か言ったことはないし、何も思わない。

むしろ男として健康であってくれる方が、安心だった。

「おい」

「なぁに~~」

隣で古文書らしい書簡を読んでいる男に、俺は話しかけた。

負担軽減用の眼鏡をかけ、何かメモも取っていた。

「いつまでこのままのつもりだ」

「そう急かすなって。ごらんの通り準備中~」

ひらひらとメモを見せる。

だが眼差しは酷く面倒そうで、楽しげでもない。

仕方なくやっている、そんな風に見えた。

俺はこの緩く、何の刺激もない生活がいつまで続くのか、先行きが見えず焦燥に駆られていた。

その上女に興味をなくしてしまったような様子と、仕事のやる気も失ったような様子に不安を煽られた。

「俺が言ってるのは、仕事の話じゃねえ」

真面目に聞け、と口調を強める。

「……お前、随分腑抜けになったな。前は仕事となりゃ目の色変えてやってたくせに、今じゃ宿題するガキと同じ目だ。仕方なくやってるなら、やめちまえ」

「次元、面白い仕事がないくらい、前にもたまにはあっただろ。ご機嫌ナナメなのかい、ベイビー」

「やめろ、ごまかすな」

頬にキスしてこようとしたのを避け、ソファーから立つ。

「今のお前は、つまらない」

「刺激がないって言いたいのか?」

「そうだ」

「俺なりの優しさなんだけどなあ。お前を危険な目に合わせたくない、でも欲しがるものは与えてやりたい」

言いながら、またメモを続ける。

「そんなの優しさでも何でもない。ただの飼い殺しだ」

「世の恋人同士や夫婦を全部そう言うつもりかよ」

「俺たちは恋人でも夫婦でもない!」

俺は声を荒げた。

平凡な幸せを描く人間たちと俺たちは、まったく遠い存在だ。

長年連れ添ってはいるが、互いの安寧のためにと一緒になった覚えなど、一度もない。

誰よりも背中を預けられるから、信頼に足るのはお互いしかいないから、共に居れば何より満たされるから。

その理由があったから共に居た。

それは世のカップルや夫婦も同じかもしれない。

だが、俺たちが命の危険を伴ってでも求めるのは、二人の結晶ではない。

互いの自己満足のためだ。

互いのために尽くそうとする恋人同士、もしくは夫婦などと、とても呼べた関係じゃない。

「それ、お前も言うのな」

「はッ、不二子にも同じことしたのか?」

「結婚しようと思ったからさあ。浮気もしないで、家族作ろうと思って頑張ったんだけどなあ」

男は天井を見上げ、少し物憂げに目を細めた。

「あなたと私は、夫と妻にはなれないってさ」

「平凡な幸せに満たされるような女なら、最初からお前の傍に居たりしないだろ」

「……それはお前も同じってこと?」

黒い瞳が俺を映す。

俺も同じようにルパンの顔を瞳に映した。

表情の薄い顔は、顔立ちが表情に邪魔されずよく見える。

俺はこの顔が好きだった。何も言わず、ただ真に見つめられる。

それだけで胸が燃えそうになる。

だが、それだけでは今は満たされない。

「刺激のないお前なんざ、御免だ」

苦しみがなく心地よい愛とは正反対の、藻掻くほど痛烈な愛。

それが、ルパンという男がもたらすものだ。そう願いたかった。

「それじゃあさ、お前と俺の決着はどうすんのよ。今まで通りでいいっての?お前が苦しんでるように見えたから、俺だって変わろうとしたんだぜ」

奴は拗ねるように言った。

この男の言う通りで、今まで通りであるなら、度々俺は苦しめられるだろう。

しかし俺はそもそも、安らぎだけで生きていけるタイプではない。

こいつほどではないと思っていたが、俺も、相当に刺激がなければ生きていけない。

たとえその刺激が毒であろうと、全身に回ろうと、ないよりはあった方がいい。

それに俺は、誰かのためではなく、呆れるほど自分のために生きる、ルパン三世という存在を愛していた。

「エゴイストのお前が、好きだ」

肘かけに座り、少し狭い額に口づけを落とす。すると、顎の下に唇が返された。

「あーあ、お前ってば根っからのマゾヒストなんだよな」

腕を引かれて、そのままソファーに腰を落とした。

ルパンは俺を背中から抱き、子どものように足を絡ませてしがみつく。

「俺様も無理し過ぎて、ちっと疲れたわ。やっぱ年かな」

「いいや、お前は若いさ。風呂でヤった時は燃えたぜ」

「下半身はって意味でしょ、それ。心の話よ」

「別に老けちゃいない。安心しろ。お前はお前のままだ」

誰よりもワガママで、自由で、自分の欲で動いている。

それは昔から変わらない。変わって欲しくもない。

「ふふ、次元ちゃんてば、俺より俺を知ってるんじゃねえの」

「長い間見過ぎただけだ」

「それは俺も同じはずなんだけどな。お前をずっと見てきて、何もかもわかってると思ってた」

違う。お前は俺の傍に居たが、見ていたものは別のものだ。

いつだって前を見ていて、俺はその端に居ただけ。

言おうか迷い、結局言わなかった。

お前が気づかないのなら、それでいい。

そう思いながら、腕を抱く。

ようやく、元に戻れた気がした。

 

 

 

 

 

 

少しだけ月日が経った頃、ルパンはソファーに寝転がっていた俺にタブレットを持って見せた。

「仕事だぜ、次元」

「やっとか。身体が錆びついたぜ」

タブレットには実業家らしい中年の男が映っている。

宝の画像でないということは、現金か、黄金か。

「すぐに振り落とせるさ。なんてったって俺様の相棒だからな」

ルパンは楽しげに言い、ソファーに近づく。

起き上がって隣にスペースを開けると、そこに座って液晶を触った。

「でかい仕事だからちょっとばかし時間がかかる。決行は三か月後だ。お前にも山ほど手伝ってもらうぜ」

「狙いは?」

「五億ドルの現ナマ。最近、デジタル化が一気に進んだだろ。その影響で、今は仮想通貨でロンダリングするのがほとんどなんだが、仮想通貨で車も家も買える時代にはまだ早い。仮想通貨から一回現金に戻すんだが、その時を狙う」

ルパンがそう説明したが、デジタル化に詳しくない俺は理解できているかもどうかも朧気に頷く。

「五億ドルか、悪くないな。一体どこの金持ちから巻き上げるんだ」

「仮想通貨投資の第一人者。ま、本職はハッカー集団を使っての情報収集家でよ、個人情報から国家機密まで切り売りしてる」

集団のアジトはこのフランスにもあるんだ、とパリの地図を見せる。

そこから世界地図に映り、赤い点がいくつか浮かび上がる。

世界中にその点はあり、かなり大規模な集団らしかった。

「支払いは仮想通貨のみ、あくまで投資って形だから足もつかねえ。頭のいい野郎だぜ」

ルパンは言いながら、世界地図を閉じた。

「しかし、五億ドルを現金化なんて多過ぎるんじゃないのか。目立つだろう」

「ああ、そこは単に新居を買うってんで、用意するのさ。ゴルフ場、プール、おまけに博物館もついてる大豪邸だ。こっちの権利書もついでに盗んじまうか?」

画面が変わり、完成図のイメージ画像がいくつか現れる。

中身は悪くないが、全面ガラス張りで居心地は最悪そうに見えた。

「どれも趣味じゃねえな」

視線を逸らし、興味がないと顔も背ける。

「それより、作戦は?」

頂くものも重要だが、要は作戦だ。

警備状況などはまだ知れないが、裏稼業に手を染めているだけ素直にいかせてもらえる相手には思えない。

「実際に動くのは支払い日の前日。銀行から奴の家まで同行させてもらう。その準備はもう済ませてあるぜ」

「運転手に成りすますのか」

「いいや、そもそも俺たちが正規の運転手だ。もう俺たちは選ばれてるんだぜ」

そう言って出されたのは求人広告のページだ。

お付きの運転手、日給は一五〇ドル、週休二日とよく見る条件が提示され、そのマイページには応募履歴が残っていた。

「何とかシフトは細工する。当日までは別の奴が働いてくれるから俺たちが出張る必要はない。当日、車も金もそのまま奴の邸宅に運ぶ。そして奴さんが安心して寝ちまった頃に、排水管からどんぶらこって寸法よ」

「お前にしちゃマトモな作戦だな」

特に荒のない作戦に思えて、俺は安心する。

「いろいろあったし、念には念をってわけよ」

「スリルが足りないのと違うか?」

堅実にやり過ぎればすんなり行き過ぎる。

それに越したことはないが、俺たちが目的にしているのはやりがいだ。

「ああ、それなら心配ないぜ」

ルパンはにやりと笑い、白いカードをどこからともなく取り出した。

「パーティーの招待客は多い方がいい」

それは予告状で、出す相手は決まっていた。

「主賓を食う客はやめておくのが利口ってもんだ」

どんぐり眼のいかつい男を思い出し、笑った。

あの男が居るなら、スリルには事欠かない。

俺はルパンらしい仕事だと、安堵した。

 

作戦の決行日は、思いの他すぐに訪れた。

ルパンは地下の水路を輸送用に改築すると言い出し、たっぷり一か月は下水で作業をさせられた。

邸宅地下の水路は、防犯のために酷く狭かったからだ。

人一人が通れるのがやっとだという広さを、コンクリートの壁を壊し、土をドリルで削り、二人通れるまでに広げた。

その改築依頼は、ルパンがわざと排水を破壊してくれたおかげで出たものだった。

久しぶりの肉体労働のおかげで、痩せていた身体にも肉と体力が戻っていたが、改築作業のほとんどを俺一人で行ったのには文句を言った。

それをあいつはいい運動になっただろうと笑い、綺麗にしたらいつでも抱いてやるから許せとふざけていた。

もう一か月は、ハッカー集団を混乱させるのに費やした。

有能で全世界に散らばる奴らのおかげで、予告状を出してしばらくして居場所が割れた。

南フランスのアジトが割れないよう、水路工事と同時に近場に引っ越していたのだが、突然押し入られた。

それから派遣されたらしい殺し屋たちに追いかけ回され、いくら逃げてもすぐに見つけられる。

ルパンは想定のうちだと言い、二週間逃げ回ったところで反撃に出た。

ハッカー集団とはいえ、すべてがコンピューターまかせではない。

あくまで情報を動かしているのは人間だ。

ルパンはモノになる情報を、毒を交えて奴らに売り渡した。

奴らは喜んで飛びつき、その情報を高く買った。

それはルパン三世の動向だった。ルパンは驚くことに、当初は真実をそのまま売り渡していた。

そして信頼を得るようになって、少しずつ嘘を交え始めたのだ。

ルパン三世は殺し屋に追いかけられて困窮している。

相棒の次元大介は仕事を降りた。現金を諦めるのも時間の問題だ。

地下水路は派遣された工作員たちが破壊している。

これらはすべて嘘だったが、奴らはすんなりと信じてくれた。

そして最後に、ルパン三世が死んだという情報を流した。

殺し屋に追い詰められ、アジトに火をつけて今まで盗んだ宝と共に死んだらしい。

よくやる手ではあったが、今回はかなり手が込んでいた。

 

本当に殺し屋をアジトに招き入れ、その場で火をつけた。

そしてガラクタを詰め込んだ部屋に飛び込み、ルパンと背格好の似た、骨入りの人形と入れ替わった。

全焼した部屋の中から、骨になった死体が出てきた時、銭形が飛んできた。

ルパンはこんなことでは死なない、DNAを調べてくれと言っていたが、あまりにも損傷が激しく鑑定できないと鑑識がうろたえていた。

苦労して鑑定したところで、あの骨は医学病院から盗んできた実物標本だ。

遥か過去に死んだ誰かとわかるまで調べるには、日数がまるで足りない。

ルパンはそう言っていた。

 

決行の一か月前は、驚くほど大人しくしていた。

ほとぼりが冷めるのを待つ、と言ってあのアパートで日がなサッカー中継を見て俺と賭けをするか、階下のリストランテで女主人をナンパするか、俺と寝るか。

だが夜になれば、決行の日に備えて遅くまで液晶を見ていた。

「後は運び出すだけなんだろう。まだやることがあるのか?」

コーヒーを持ち、目の前に置いてやりながら尋ねる。

「まだまだあるさ。盗んだ後、金がないことに気づくまで、二時間近くある。てのも、半日に六回もチェックがあるんだ。札がすり替えられてないかまでチェックする。二時間じゃ水路を出ても逃げるまでの時間がちっと足りねえんだよなあ。何か上手くごまかす手立てはないもんかね」

顎を擦りながら、タブレットの資料を睨めっこする。

「逃走の時も、五億ドルはさすがに目立つし重過ぎる。地下水路は狭いし逃げ場がないだろ、だからさっさと地上に出ないといけねえ。地上に出ても、ヘリは目立つ、車じゃ距離が稼げない。陸地だから船も使えないしさぁ……どうするよ?」

「いつもそうだろうが。お前が考えろ、俺がケツを守ってやる」

そう言って使い慣れた銃を見せれば、ルパンは噴き出した。

「頼もしいなあ、世界一だ」

タブレットをテーブルに置き、俺が淹れたコーヒーを口につける。

「まだ続けんのか」

「逃走ルートを決めておかなきゃな。迷子になったら困るだろ?」

「お巡りさんは警察署までしか案内してくれないしな」

俺にも見せろと、タブレットで衛星写真を見る。

時代が進み、便利になった。

昔は古い地図を掴まされてルート変更をしたこともあったが、今やほぼリアルタイムで更新される。

出向かずとも、アラウンドビューで景色もわかる。

逃走時の夜とは若干景色の印象が違うが、それでも大いに役立っていた。

「すげえ時代だな」

「そうだなあ。できることが増えた」

「あまりにも早過ぎる。いつか振り落とされちまうぜ」

「お前が振り落とされそうになったら、ちゃんと俺が掴んでやるよ」

そう言って肩を抱く。

俺はそうしてくれと返した。

だが、心のどこかでたとえ俺を引きずろうと手を離してはくれないのだと感じた。

 

決行の当日、俺とルパンは正規の運転手として乗り込んだ。

金の搬送は問題ではなく、屋敷には何事もなく到着した。

本番はここからだ。搬入を終えて、俺たちはすぐ屋敷の藪に潜んだ。

巡回が来るまで、二時間もない。

その間に札束をビニール袋に詰めて、同じフロアの、排水溝の穴がある部屋まで運ばなければならなかった。

予定では、札束はこの屋敷と排水施設を繋ぐ流れの境目でせき止められ、それを回収して車で逃げる算段だった。

だが、銭形の登場によりまず三十分も足止めを食らった。

「どうすんだよ、ただでさえギリギリの計画なんだぜ。これじゃあ水路に流してる途中で捕まるぞ」

屋敷の主人に食ってかかり、日夜見張りを続けろと要求する銭形を藪の中から窺う。

主人は玄関前で、得体の知れない男を警戒していた。

見張りなどしなくても監視カメラもセンサーもある。目視でも確認している。

あれだけの札束を、コソ泥の奴が根こそぎ奪えるはずがない。

言い合いをしばらく続けて、結局主人が折れた。

巡回は一時間ごとに変更する。家の外は銭形にまかせたと。

俺は盛大に舌打ちをした。

「おい、黙ってねえで何とか言えよ。お前が呼んだ客のせいでメインステージが潰れたじゃねえか」

隣に居た男を肘で小突く。ルパンは喚くなよと面倒くさそうに言い、場所を移動した。

屋敷の地下へ侵入するために外のマンホールを開け、下へ降りた。

ドブの臭いを嗅ぎながら、ルパンを追う。

「どうすんだ、ここから」

「こうなっちまったら強行突破だな。この排水溝を潰して騒ぎを起こす。そうしたら、きっと金を別の場所へ移そうとするはずだ。その時を狙う」

「あーあ、俺の仕事の意味はあったのかよ」

せっかく二人入れるほど広くしたのに、と俺は文句を言う。

「ぶつぶつ文句言うなよ。広くしたおかげで爆弾は仕掛けやすいし、もし一人用のままだったらやるのはお前一人だったんだぜ」

「汚れ仕事ばっかりやらせやがって。分け前ははずめよ」

文句は言いつつ、俺は持ってきていたいくつかの小型爆弾を壁に貼りつけた。新型らしく、コインほどの大きさだったがかなりの大爆発を起こすという。それをなるべく天井の方へ接着剤で設置する。ルパンもそれを手伝って、三十ほどを片付けた。

「俺が上に戻ったら、金を出すように焚きつける。お前はいつでも出られるように車を温めておいてくれ」

「銭形はどうするんだ。奴は絶対お前を疑うぞ」

「それでいいのよ。バレたとして、屋敷から煙が出ている状態だ。家主は絶対に金を運び出す。俺が銭形に追いかけられて逃げたと知ったら、ますます安心してくれるぜ」

悠々と言う。

その通りになればよいがと祈りながら、俺は言いつけ通り外へ出て、最初に運び込んだトラックに再度戻った。

トラックには最初から仕掛けがしてあり、奥にフィアットを眠らせていた。

トラックは荷物が運べる分、動きが鈍いし目立つ。それに備えてのことだった。

じきに、地下から爆発音が聞こえてきた。

ガレージからそろそろとトラックを出し、玄関先を窺う。

煙の上がる屋敷を見て混乱した主人は、止める銭形を突き飛ばして家人に金を運ばせていた。

その中にはルパンの姿もあった。

銭形は運ぶならパトカーでとまだ喚いており、俺は先を越されるより前にトラックを発進させた。

「早くこれに金を詰め込みましょう。あなたと警部が同乗すれば心配ないでしょう」

ルパンが声色を変えて主人に叫ぶ。

主人はうろたえながら金を運ばせ、すべてを乗せ切ったところで、自身も乗ろうとした。

ルパンはそれを手助けするフリをして、放り捨てて自分が乗り込んだ。

「五億ドルは頂いていくぜ!」

安心しな、あの煙はただの煙幕だ。

そう言い残し、食らいつこうとした銭形も蹴り落とした。

そして隠していたフィアットの後部座席に、金を放り込み始める。

だが、狭い車のせいで積み込めるのはせいぜい一億ドルだ。

「残りはどうすんだ。返すのか」

後部用の窓をバックミラーで見ながら、俺はルパンに尋ねた。

「んなわきゃないでしょ。港まで走れ、そこで処理する」

命令を受け、俺は速度を上げた。

港までは遠い、処理すると言っているが、重りをつけて海に沈めておくのだろうか。

考え始めた瞬間に、もう背後からサイレンが鳴いているのを聞く。

「ルパン!港までなんてとても無理だ。残りの金は捨てて行こう」

窓を叩き伝えると、すぐにもう一つのエンジンがかかる音がする。

「ちぇ~、もったいねえなあ」

ルパンは言うなり、ワルサーで後ろの扉を開け放った。

そして札束を轢きながら、勢いをつけてバックする。

車の影がバックミラーから消え、サイドミラーを見ると小さな黄色い車が横についた。

札束でパンパンになった後部座席の前に、空の助手席があった。

「そのまま飛び降りろ、次元!」

「残りの金は?本当にこのままでいいのか」

「心配すんなって」

にやりと笑うルパンのことだ、何か策はあるのだろう。

そう思いながら、飛び降りる。

上手く助手席に着地し、すぐに後ろを振り返った。

車のスピードが空気を掻き分け、それに押し退けられた空気が激しい風となって俺の上半身にまとわりつく。

帽子を抑えて様子を見ると、パトランプの軍勢は合流を繰り返して規模を大きくしていっていた。

まるで赤い津波だった。

トラックは運転手を失って制御不能になり、そのまま横転した。

だが道は塞がらず、パトカーの群れは減らない。

マグナムで潰してやる、と俺は腰のリボルバーを取り出した。

その時、俺はパトカーとは違う、鳥のような何かが空から追いかけて来るのに気づいた。

「何か変なのが飛んでるぜ」

俺がそれを報告すると、ルパンはバックミラーを見た。

そして、カラスじゃないと口を開いた。

「多分追跡用のドローンだ。ハッカー集団のどこかの誰かさんが操縦してるな。大方、俺たちの寝ぐらまでついて来る気だぜ」

「覗きとは趣味が悪いぜ」

俺はマグナムを掲げ、撃ち放った。

久方ぶりの慣れた衝撃が身体に響き、魂が解放されたような気分さえした。

弾は真っすぐにドローンを落とし、残りの十数機も残らず片付けた。

何台かのパトカーがドローンの落下に驚き減ったが、それでもしつこくて追いかけて来ていた。

俺は空になった薬莢を夜道に巻き捨て、スピードローダーでシリンダーの穴を埋めた。

「ルパン、少し速度を落とせ。奴ら距離を詰める気配がない。おそらく俺たちの車のガソリン切れを待ってやがる」

「どうすんだぁ?」

「防波堤を作る」

俺たちの後ろの道を断つ、と伝える。

ルパンは少し速度を落とし始め、パトカーとの距離が縮まる。

ここはハイウェイで夜中なだけに一般車はほとんどない。

あっても俺たちが通り過ぎると後方のパトカーの群れに慄き、端に寄って停車している。

これならば巻き込まれずに済むだろう。

「次のインターまであとどれくらいだ」

「一kmってとこだな」

「そこで止まってくれ」

「りょーかい」

距離を取りながら走り続け、数分でたどり着く。

俺はインターを知らせる看板の大きさを見て、その先で止めろと伝えた。

先の爆破で使ったコイン型の爆弾を五枚握る。ルパンは背もたれに寄りかかって煙草を吸い始めた。

俺はパトカーの群れが来るのを待っていた。俺たちがガス欠を起こしたと思い込み、パトカーは速度を上げていた。そして距離はあと二〇〇mというところで、出せとルパンに伝えた。

「何を見せてくれるんだ、相棒」

「お前が望むものさ」

「んはは!期待してるぜ」

コインを空高く投げ、看板の近くまで上った時、瞬時に五発撃った。

爆発により、巨大な看板が空に吹っ飛ぶ。そして一瞬空中に停止した後、黒煙の中から落ちてきた。

バリケードのように上手く落ち、パトカーたちが慌ててブレーキを踏む。

何台ものブレーキ音は姦しく、一つの悲鳴のようだった。

止まり切れず何台かがぶつかり、中から警官がわらわらとアリのように張って出た。

そして俺たちに向かって発砲し始めたが、下手な鉄砲を数多撃つが、当然当たりはしない。

「次元ちゃんや~る~~!」

「お前はいつも喜ぶのが早いんだよ。また来るぜ」

看板を無理矢理乗り上げてくるパトランプを見つけ、撃鉄を上げる。

「次は何だよ、懐かしの鉄トカゲか?」

「それより随分馴染み深くて、しつこい野郎さ」

「あは、ほんとォ」

ルパンが振り返り、わざと速度を緩やかにしながら発進した。

一台のパトカーはすぐに追いつき、ウインドウからトレンチコートの男が大きな顔を出した。

「ルパァン!」

「よ~とっつぁん、しばらくぶり~」

血気迫る男に向かって、気の抜けた返事をしながら手を振った。

「何がしばらくだ、貴様この半年どこで何を……」

「次元にでも聞いてちょうだい。詳しく知ってっから」

「俺に振るな。さっさと撒いちまえ」

挨拶のために速度を落としていたが、この車は改造されて、一般車ではとても出せない速度も可能だ。

パトカーの一台くらい振り切って一般道に下りるのもたやすい。

「だってさ、また今度教えてやるよ」

ルパンは言うなり、アクセルを踏み込んだ。

ぐんと身体を引かれるほど加速し、パトカーの前に踊り出る。

「次元ちゃん、さっきのお釣りってまだある?」

ルパンがそう言って手のひらを出す。

おそらくコイン大の爆弾のことだろうが、さっきので使い切ってしまった。

「生憎、すっからかんだ。かわりに鉄の玉でいいだろう」

俺は残りの一発をパトカーの中に向けた。

そしてシフトレバーに照準を合わせ、惑いなく撃ち放った。

当然の如く命中し、レバーは吹き飛んだ。

運転手の警官が混乱し、ブレーキを踏む。

実際、その方が利口だった。

この速度で、レバーもなしに運転すれば確実に事故を起こす。

ルパンはそのままハイウェイを駆け抜けて、ヘリの目が届かないように下へ降りた。

そして寝静まった街を走り、逃走用に用意していたいくつかのアジトから空港に近い場所を選んでそこに落ち着いた。

 

灯りがついていると居場所がバレやすいとのことで、スタンドの明かりしか灯さず、リビングで祝杯を挙げた。

しばらくぶりの祝杯は心臓に染みて、言葉にし難いほどうまかった。

仕事をしている時こそ、俺の五感が喜ぶ。そう思えるほどだった。

「今夜も最高だったぜ、相棒」

ルパンはシャンパンを口にしながら、俺の脇腹に手を回した。

俺もさ、とその手に触れ、シャンパンを飲む。

刺激に満ち、危険に満ち、成果に満ち、お互いが引き立て合って、生命を楽しむ時間。

この男と作り出すものは、やはりこれ以外にはなかった。

「そういや、置き去りにした残りの金はどうなったんだ?」

酒の肴に尋ねる。何とかすると言っていたが、結局できたのだろうか。

「ああ、アレね。不二子が釣って行ったんじゃないかな」

女の名前が出てきて、俺はルパンを見る。

この仕事に絡んでいるなど、一言も聞いていなかった。

「そんな目で見ないでくれよ。仕方なかったんだよ、今回は」

ルパンは苦く笑い、俺の腰を撫でる。

「本当はあいつ込みで計画してたんだけど、そうすっとお前の機嫌が悪くなるだろ?かといって不二子に声もかけないんじゃ、あいつも顔が立たない。まあ、イエスと言うつもりもなかっただろうけど。だから、気が向いたら四億ドル受け取ってくれってさ」

「……それで機嫌を直す女か」

金にがめついが、自分のプライドだって守る女だ。

金でこの男の仕打ちを許すとは思えなかった。

ルパンはそう祈ってるのさ、と酒を注いで煽った。

「これで不二子の話は終わり!この先は俺たちの話をしようぜ」

グラスをテーブルに置き、腰を掴んで俺にのしかかる。

狭いソファーに倒れた。何を話す気なのかと、俺は抵抗せず続きを待った。

「なあ次元、しつこいかもしんないけどさあ。俺はやっぱりお前との関係には、名前か形が欲しいなあ」

顔を覗き込まれる。薄暗い中では、顔の陰影がくっきりと浮かぶ。いつもよりずっと、目鼻立ちが強調されて見えた。

「何のために」

この関係に名前や形なんて、野暮のように思えた。

いくら言葉を尽くしたところで、そんなことに意味はない。

この世界の、あらゆる言語をより集めたところでそれに収まるものじゃない。

むしろ、収めることで落とし込んでしまう。そんなことをしたって、何の得があるのか。

「他人に見せつけるためにさ」

ルパンは自慢げに笑った。

「これがどれだけいいものか、知らせたい」

それから笑みを緩めて、恋人のように目を細める。

睫毛と目蓋に挟まれた瞳の奥に吸い込まれそうだった。

「お前がどんなに俺を許してくれて、愛してくれて。俺が望むように銃を撃ってくれて。俺様にどれだけ必要なものか。お前が俺をどれだけ中心に置いているか」

目蓋の上まで伸びた前髪を掻き上げ、軽くキスを落とす。くすぐったいほど、優しかった。

「そんでもって、俺がどれだけお前を愛してて、頼りにしているか。お前に自由を分けてもらっているか、俺を幸せにしているか」

次のキスは唇に落ちた。

軽いが、長く、息を吸い取ろうとするようだった。

ルパンの口説きは聞き慣れたものだったが、俺は耳を傾けた。

ほとんどは、ルパンの言う通りだった。

だがそれが真実であればあるほど、余計言葉は要らなかった。

「匂いに名前や形をつけるようなもんだ。いくら言ったって、正解は曖昧だ。意味なんかない」

香水の香りが、その存在の匂いでなく、成分の組み合わせの結果に過ぎないように。また、形という概念を持たないように。

「いいなあ、そのたとえ」

ルパンは楽しげに笑った。

「フレグランスのキャッチコピーみたいな、長くて情熱的な詩みたいな名前にしとくわ」

そして、到底俺の話など聞いていない返事をする。それがいつも通りで、何よりも安堵した。

「へえへえ、好きにしな」

そして俺も、言い慣れた台詞を口にしたのだった。

 

大仕事から、数か月が経った。季節は冬に近くなり、風も冷たくなった。

ルパンと俺は変わらず南フランスのあの部屋で暮らしていたが、生活は通常に戻っていた。

ルパンは自由に出かけ、俺は部屋でのんびりと過ごしている。

ルパンの無茶につき合って小さな仕事もすれば、熱に浮かされたように一晩を過ごすこともあった。

ルパンと不二子はまだ戻っていないらしい。

先日の四億ドルは取りに来なかったらしく、無事持ち主の元へ返されてしまった。

女の恨みは長いと思ったが、特に俺の干渉するところではなかったし、ルパンも俺の前ではそのことを持ち出さないのとで、話題にすることはほぼなかった。

今は仕事もなく、ルパンは不二子より俺をかまいたいターンだった。

俺が部屋で自分とルパンのスラックスにアイロンをかけているというのに、背中に小猿のようにしがみついていた。

「ねぇ~~次元ちゃん、お願い。やっぱりさ~~、結婚式はしようよ。俺とお前だけでいいからぁ」

「いつまでわけわかんねえこと言ってんだよ」

「だってしたいんだもん。何でこんなにお願いしてるのに聞いてくれねーんだよ~~」

もう五度は断った話を振り返し、しようしようと耳元で喚く。

あまりのしつこさに、俺は一度アイロンを置いた。

「お前さんもしつけえな。やりたきゃあの女とやってろ」

離れろとルパンの脇腹を押すが、びくともしない。

「本当にしたら、泣いちゃうくせに」

「せいせいして、嬉し泣きならするな」

これは長くなると諦めて、シャツの胸ポケットから煙草を取り出す。

灰皿はなく、火をつけず蒸すだけだった。

「素直じゃな~~い。そういうところが好きなんだけどさあ」

俺にぐずるように縋りつき、身体をまさぐる。

反応したら負けになる、と気を逸らすために窓の外を見た。

清々しく晴れていて、空も青く、雲も真っ白だ。

「百歩譲ってするとして、一体誰に誓おうってんだ。神様なんざ蹴っ飛ばしちまうお前が」

誓うための神もないくせに、そんな儀式は無意味だ。

「もちろん、俺様自身!」

「……ぶは」

揚々と言う姿に、俺は思わず噴き出した。

実にルパンらしい台詞だった。

「一番当てにならねえな」

誰よりも自由で、誰よりも自身の幸せを追い求める男に誓ったところで、何の意味があるだろうか。

だがそれでも、俺は結局のところこの男を信じていた。

この男に長年蝕まれた思考がそうさせているとも言えた。

だからといって、今の俺が幸福ではないという話でもない。

この男に好きで振り回されて、苦しみも自ら受け入れている。

「……帽子に花くらいなら乗せてやる」

「さすが次元ちゃん。そう言ってくれると思ったぜ」

わざとらしく、頬に口づけて抱き締める。

結婚など、そんなもの、遊びでもしたところで俺を苦しめる思い出にしかならなそうだ。

だが、この男のもたらす、喧騒と恋情が相手なら、結婚も悪くない手だった。

つい、俺もその気になって、町外れにある小さな教会へ向かう道のりを思い出した。

そして、記憶の中で石造りの白い建物にたどり着く。

その時、結婚を誓う時に掲げられている教会の十字架は、葬式の日にも掲げられていることに気がつく。

「あーあ、これでお先真っ暗だ」

この男に、骨まで埋めるしかない。

笑いながら、果てしなく広く、青い天を仰いだ。

 

 

 

 

 

 

 

パリのバーに入ると、女が一人待っていた。

髪を短めに切り、うら若くも妖艶にも見える女だった。

「直接奴を呼べばいいだろうが」

隣に座り、バーボンをとバーテンダーに伝える。

「嫌よ、あんなシケた男。今はあんたの方がマシだわ」

「酷い言いようだな。最近は少し、マシになったぜ」

女は持っていたマティーニをテーブルに置き、俺を見た。

「自分がそうしてあげたって言いたいの?」

「まさか。あいつは俺の言うことなんか聞きやしない」

俺は拒否をしただけで、戻ったのはあいつだ。

「奴をアレだけ腑抜けにしたお前に、恐れ入ったぜ」

「当たり前でしょ、相手は私なのよ」

女はツンと顔を背け、リングケースを俺の方へ寄こした。

「こんな安物要らないから。あの人に返しておいて」

中身は聞かずとも知れる。

女は自分の勘定を置いて立ち上がった。

男が奢るのが当たり前だという高飛車な女が金を置くということは、借りは御免という意味だった。

「不二子」

「何よ」

去り際を呼び止める。

女は振り返って俺を睨んでいた。

「あんまり、つれなくしてやるなよ」

あいつはいつも強引で、頭が回るくせに時たまとんちんかんな答えを出す。

そんなのは、昔から変わらないことだったじゃないか。

あいつはあいつで、この女のことも愛している。

俺がそれを知らないはずもない。

「あなたからそのセリフを聞くとは思わなかったわ」

女は睨みを呆れに変え、高いヒールで俺の脚を軽く蹴った。

「何すんだよ」

「本当にエゴがないのね、最高に気持ち悪いわ。ルパンよりマシって言ったけど、忘れてくれる?」

「おい、言い逃げすんな」

あと蹴っただろう、と俺が抗議すると、女はふんと鼻を鳴らした。

「悔しかったら言い返しなさいよ」

それができたら、苦労しない。

思いながら、後ろ姿も見送らず酒を煽った。

 

 

 

 

 

END